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Whiplash [watching]

エンドロールに切り替わった瞬間、

「見事だ」

という言葉が浮かんだ。

最初から最後まで音がジャズであふれてて、
すごく…かっこよかった……。

ジャズの映画って初めて見たかも。

最初に観たときはラストシーンでは我知らず言葉を失っていた。
映画が終わってもしばらく呆然としちゃったよ。
終わってふと我に返って、ここは立ち上がって拍手するところじゃないか?
と思った。

映画の始まりかたもすごく好きだった。
スネアを叩くテンポがだんだん速くなって最高潮のところから
ニーマンの練習が引き継ぐ。
それでもう私は心を奪われてしまった。
そこへ間髪入れずにフレッチャーが入ってきて雷鳴のように指示が鳴り響き、
息つく間もなくドラムの音だけが響く。
この時点ではまだニーマンがどんな子で、フレッチャーが何者であるか何も
語られないわけだけど、これがドラムの映画であるということを高らかに
宣言していることは誰にでもわかる。

あと、映像の色も私好みだった。
作品全編がジャズの色だった。
ずっとクラブの中みたいな、昼夜の区別がわからない黄緑がかった薄暗い
照明で、それは学院内での練習風景や大会のステージ上にとどまらず、
その色味は普段の生活風景にも使われていた。デート中のカフェや、
ニーマンの親戚んちのダイニングでさえでもその色で世界ができていた。
ほんとのシェイファー学院も朝からあんなクラブの中みたいな明りの中で
やっているんだろうか。
まあ音楽やるのにムードも大事だってのはわかる気がするけど、
私だったら朝9時に学校行って、すぐに夜のクラブみたいな中に放り込ま
れたら、昼夜の区別がつかなくてちょっと気が狂いそうだなと思った。

映画を何度か見た後で調べてみて分かったことに、ハリウッドでは脚本の
ブラックリストっていうのがあるらしい。なるほどね。でもヤバいっつっても、
上映できない方にヤバいんではなく、素晴らしすぎてヤバいリストなんだそう。
”Whiplash”は2012年にリストに載って、14年には上映してるんだから、
目をつけられてからはとんとん拍子だったわけやね。
しかもリスト掲載時の脚本はたった85ページだったそうな。
すごい。
超私好み。
優れた短編大好物。
結局出来上がった作品もなんと96分。ディズニーか。
のうち、9分以上がラストのドラムソロに費やされているらしいから、
いくら短いっていったってジャスが好きでない人には難しいかもな。

私は映画観るときに、先入観があるとしばらく観る気になれないことが
あるんだけど、ほんとはこの作品もそんなタイプの1つだった。
J.K.シモンズは好きな俳優の一人で、サム・ライミの「スパイダーマン」の
早口編集長は私のお気に入りだったから、スパルタ教師役と聞けばなるほど
似合いの役だろうなと思ってたし、内容もスポ根の音楽版と聞こえていたから
なんとなくそれ以上でもそれ以下でもあるまいと想像してた。

まあ、作品を要約すればとその通りだったんだけど、いろんな細部が、
というかおそらくすみずみまでもが、私好みであったことが、映画を見て
久しぶりに感激してしまった理由だと思う。
改めてジャズ好きだなと思った。よく知らんけど。

ある人のレビューで、映画のラストでフレッチャーがニーマンに正確な
演目を伝えていなかったことは額面通りの嫌がらせで、フレッチャーは
単純に生徒いびりの薄っぺらな奴と書いていて驚いた。
私が思うに、そんなに薄っぺらいキャラ設定という理解で、これほど
多くの脚本賞や監督賞や助演男優賞にノミネートされないと思う。

この映画の何度も丁寧にそのテーマをリフレインしている。
たった96分の中で。
とどめにフレッチャーが自らの口ではっきりきっぱりニーマンに語って
聞かせる場面を用意してもらっていてもその程度の理解力かと思うと
純粋に驚きを感じる。
いやはや文章だろうと、映像だろうと、人に思ってることを伝えることの
難しさったら今世紀中になんとかできるとは思えないスケールだよ。

フレッチャーは自ら二度にわたってニーマンに才能とはどうやって
磨かれるものかについて語っている。
それを自分に教えてくれているんだということに気づくまでが命がけ
だったという映画と私は理解している。
ニーマンはフレッチャーのクラスでの初めて授業を受けたときにもう
その教訓を聞いている。個人的に。
二度目は退学になった後、偶然クラブで演奏するフレッチャーを
見つけたときに。
フレッチャーはどちらも同じ話を繰り返し聞かせている。
どうしてチャーリー・パーカーが「バーディー」になり得たかを。
つまり、ニーマンは"Good job"という評価で終わってしまような
プレーヤーではないと、思わず聞いてるほうも歯の浮いてしまう
ようなメッセージを相手の目を見て直接語りかけているわけだが、
レベル19の経験値ではそれは単に解読不能な寓話だった。

フレッチャーはニーマンと再会したバーでこう持論を展開する。
「あそこでドラマーがシンバルを投げずに、”まあお前は頑張ったよ”
と言っていたらバーディーは生まれたか?」と。
しかしみんなの良心を代表するニーマンは少しの間の後こう問いかける、
「でも一線はあるんじゃないですか?あなたはやりすぎて次のバーディーを
つぶしてしまったのでは?」

「いや、本当のバーディーならつぶれはしない」

フレッチャーは迷わずにそう言った。
つまりフレッチャーは、自分はバーディーにシンバルを投げたドラマー
なんだとニーマンの眼前で言っているのだが、19歳のニーマン君には
フレッチャーの言っている「バーディー」が自分のことであるとはJVCの
ステージ袖でメソメソするまではついぞ気が付かなかった。
したがってもちろん、JVCのステージはフレッチャーがニーマンの
ためにお膳立てした舞台だ。

フレッチャーは初めてニーマンのドラムを聞いた時からその才能を
見抜いていた。ショーンを発見したときみたいに。
通りすがりに見かけただけの生徒に全米屈指のジャズ指揮者が
上着を脱いで、自ら拍子をとる。
これの意味するところは?
自らの指示に没頭するニーマンの姿をみて、脱いだ上着を思わず
忘れて退室するほどフレッチャーも我を忘れてたってことだよ。
私ならそう解釈する。
しかし、"Oops-a-daisy!"って「ノッティング・ヒルの恋人」以来だな。

フレッチャーには原石が岩に埋まってる状態で才能を見出せる
天賦の才がある。
つまり、それはフレッチャーにしか見えない才能なので、彼が引き
出してやるしかない。
で、彼の手法はといえば、それこそ他のどんな教師にもできないくらい
「必死」で生徒を「指導」することに他ならないが、その指導方法は
他人の目には生徒いびりにしか見えない。
言ってみればフレッチャーの指導者として生まれるべくして生まれた
類まれなる才能も過酷な運命に晒されているということだ。
やわな生徒のハートを踏みにじるという指導法しか彼にはないのだから。

この映画の批評で、ラストシーンの高潮感のままレビューを書いてる
人が多いと揶揄してる人がいて、この映画のどこのがいいのか
わからないといっている人がいたんだけれど、見たらもうおじいさん
みたいな人なので感度が下がってるのかもなと思った。
ちなみに私は二度目でもあのラストにゾクゾクしたよ。
なんなら三度目観るときにはワクワクしちゃったよ。

私もそうだけど、素直になにかに感動できる能力って年とともに薄れていく。
絶対に。
確実に。
私くらいの年になったらそれを手に取るように実感できるようになる。
年を重ねていくとびっくりすることって減っていくじゃん。
そんで無関心が増えるでしょ?
感動する能力が減ってくのはそういうのの一環だと思う。
きっとそのおじさんの心は、揺れる人の心とかを想像したり、感じるのが
鈍くなるくらい固くなっちゃってるんだろうなと想像した。
魂のきらめきをとらえる鏡が曇るというか。
映画の趣向からして、観てる方に万が一にもジャズに興味がないなんて
ことがあればそれも感受性の鈍る要因になると思う。
私がミュージカル映画苦手みたいなもんで。

前出のおじいちゃん批評家は、ニーマンにはラストのドラムソロができる
だけの環境が当時の彼にはなかったというのだけれど、私はあの才能を
ニーマンはとっくに獲得していて、フレッチャーはもちろんそれを承知の上
だったと思う。だからJVCのフェスに誘った。
ニーマンが命を削って磨いた才能をプロスカウトの目に留まらせる
千載一遇のチャンス。このチャンスを「絶対」に(フレッチャーはabsoluteって
言葉も好き)ものにするためには、それこそ「絶対的な」、渾身の嫌がらせ
が必要とフレッチャーは判断し、それがあの手だったというだわけだ。

おじいちゃん批評家はほかの批評家が映画のラストでフレッチャーと
ニーマンの軋轢が昇華されているという評論を受けて「どの辺で昇華
されているのか」と疑問を呈し、どこまで目が曇っちゃってるんだと
さすがに心配に思ったけれど、ニーマンが舞台袖にすっ飛んできた
お父さんに「さあ帰ろう」と言われてためらった時からそれは始まって
いたんだよ。
あの時初めてニーマンは、フレッチャーの嫌がらせに対する正しい
対応に気づいたんだよ。
フレッチャーのしたいことは、辱めて二度と立ち上がれないようにすること
ではなく、その屈辱から這い上がってきて叩きやがれってことだと。
ここで背を向けたらそれこそ再起不能というところまで追いつめられて
初めてニーマンはあばれはっちゃく並みに「ひらめいた!」んだよ。

ニーマンが呆然とする父親を舞台袖に置き去りにしてステージに戻ってきて
勝手に”CARAVAN”をやり始めて終わるまで二人のやり取りは続いてた。
そりゃ「昇華」なんて表現は、死に損なったニーマンにしてみればあまりにも
きれいごとすぎるかもしれない。
それは戻ってきたニーマンが突然演奏を始めておどろく(という演技の)
フレッチャーに「くそったれ」とかみつくニーマンの心境を察するに余りある
ってもんだ。
だけどそれこそフレッチャーが聞きたいセリフだったと思う。

それにどう贔屓目に考えたって、本当に戻ってきたニーマンを止めたいん
だったら、バンドの指揮者であるフレッチャーにはもちろんそれができた
はすだ。それをしなかったのはなぜか。
だし、ニーマンに復讐したい一心であんな演出をするんだとしたら自分の
キャリアにもリスクが大きすぎる。それを承知で強行したのはなぜか。
決定的なのは、ほかのメンバーはちゃんと”CARAVAN”を演奏する準備
をしてた。フレッチャーが演目としてほかのメンバーに伝えていたからに
他ならない。
本当にニーマンを苦境に追い込みたいならほかのメンバーに”CARAVAN”
の譜面を渡しとく必要すらない。なぜなら控えのドラマーも用意してない中、
一曲目でメインドラマーがいなくなる筋書なんだから。
でしょ?
オッカムの剃刀的に合理的な筋書として考えられるのは、フレッチャーには
必ずニーマンが戻ってくると確信あったということ。
戻ってくるのに多少時間がかかることも考慮して、もしくは期待を裏切って
戻ってこなかった時のことも考えて、もちろんドラムなしの楽曲も用意して
いた。
だからフレッチャーは、JVCのステージを個人的な恨みを晴らすという
ちっちゃな目的のために利用したんじゃなくて、次なる天才を世界に
知らしめるために彼なりの演出をしたんだと考える方が自然だと思う。

こうして辛くも指導者としては問題が多すぎる教師のメッセージは、
口先ばかりのぽかんとしたゆとり青年の胸にきっちりと収まった。
このラストシーンを見てなんもピンと来なかったんなら、その前の
1時間半は見てなかったも同然かもね。


ここからは短くも良質な音楽映画で気付いたその他細かな点について。

まず、ニーマンのお父さん。
最初に観たときから『この人どっかでみたことあるなぁ……』と
思ってたんだけど、二回目観たときに
『そうだ!エイリアン2でエイリアンを持ち帰ろうとした企業の奴だ!!』
と気が付いて、お前どんだけエイリアン見とんねんと思って改めて
自分の映画好きに感心した。
だってこの人エイリアン以外で見た記憶がないのにもかかわらずだよ。

あと、個人的に好きだったシーンが、デートでピザ屋さんに行ったとき。
女の子が「いいお店よね、おいしいし」って話を合わせると、
ニーマンが「ここはBGMもいいんだ」って言うところ。
私だったらそこで惚れるとこだが、ヒロインはホームシックに同情を
示されて惚れていた。
なるほど。
女の子にモテるには理解を示せってやつだね。
でも私はお店のBGMもちゃんと聞いてるなんてすてきだなと思った。
ましてや「これは”When I wake”だよ」とか曲紹介してて私はなんとなく
交換を覚えたんだが、よく考えたらその姿に昔の自分を思い出し、
そう言えば私の時もまったく音楽に興味を示してもらえなかったので、
私の場合はデートの時に自分の音楽の趣味を持ち込むのはよくない
んだなと今になって思う。
ニーマンの部屋にかっこいいポスターが飾ってあって検索してみたら
どうやらあれがチャーリー・パーカーのようだった。
別の誰かの切り抜きっぽいのでかっこいーと思ったのが、
「才能がないならロックをやれ」って見出しのついたやつ。
これまではかっこいいとを「ローック(rock)」と言っていたかれど、
これからは「ジャーズ(jazz)」って言わなあかんかなと思ったよ。


フレッチャーの指導方法は確かに人には理解されないだろうけど、
ニーマンは、いやきっとショーンでさえ、命を懸けて到達した地に
満足してるんじゃないだろうか。
ちなみに、フレッチャーにはモデルがいる。
似たり寄ったりの実在の人物がいるってことだよ。

久しぶりにOSTを買わなきゃと思った映画でした。

whiplash.jpg

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でた。
しかも過去記事消える系。
思わず両手に顔をうずめる。
いやはやソネブロって過去10年でよくなったろことってあるんだっけ。

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