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「トイ・ストーリー3」 [watching]

 年甲斐もなくアニメなんぞを観て胸がときめいてしまった……。

 映画の冒頭、暴走する列車の窓から無数のフラ・トロールが色とりどりのトサカ頭をのぞかせた瞬間、私は自分の胸が躍るのをはっきり感じた。「ドキン」としてしまった……。

 そんな観ててワクワクするような映画は本当に久しぶりのことだった。子供の頃には映画館ならいつでも感じていたんだろうそんな気持ちを一瞬でも蘇らせてくれた。そんな作品だった。

 ツレがそれまでの「トイ・ストーリー」をちゃんと観たことがないというので、下記のように簡単に説明したところ、ツレは大いに興味をそそられたようだった。
「1」は、新しいおもちゃが来て捨てられるんじゃないかと言う話。
「2」は、間違って本当に捨てられる話。
「3」は、子供が大人になったので最終的に捨てられるんじゃないかと言う話。

 この映画は作ってよかったと思う。
 観終わってそう感じた。
 というか、作る意義さえあったように感じられた。
 実際、そう思って貰えるように、作り手側の執念とも言えるような努力があったことをプログラムを読んで知った。キャラクターのイメージがこれまでのものとずれないように、相当苦心したそうだ。しかし、私に言わせれば、どうしたらずれちゃうんだろうと思って不思議だったけれど。

 大抵のシリーズ映画って、シリーズである意味とか意義ってなかったりするじゃない。その多くは最初から連作という設定じゃないって言うのもあるし、そんな映画の続編を作る時の理由は後付けにならざるを得ないから。
 「007」でも「ダイ・ハード」でもいいんだけど、シリーズのそれぞれはあくまで初期作品のキャラや設定だけを借りてきた完全に別のストーリーとなっているので、はっきり言ってシリーズって言っても前作と関連性はまるでない。つまりそういうシリーズものはどの作品も「焼き直し」に近い。ひどいとキャラの雰囲気がちょっと変わっちゃっていたりする。
 この作品も、最初から一貫したテーマを念頭に製作されてきたかと言えば疑問だけれど、でも、「子供の成長」というか、「家族の歴史」というか、そういう普通の家庭にならどこにでもおきる結構普遍的なテーマを背景にすることが出来ていているので、ストーリー性の軸が大きくぶれずに済んでいるんだと思う。
 実際、「3」を製作した人たちは、全作品との一貫性を作品に持たせることにこ相当苦心をしたようだ。プログラムのインタビューにそんな話が何度も繰り返し出てくる。
 まあ、「2」で幼児向けと言う主題よりも、クリエイターを楽しませるためのストーリーになっちゃってることは否めないから、先に話した一貫性に努力したってって言うのは、「3」だけの話で、意地悪く言うとシリーズの帳尻合わせを「3」で図ったともとれるけれど、結果としては、その努力がみごとに講を奏していると私は思う。「3」を作って、シリーズ全体を意味あるものに見せることに成功していると思う。

 今回一番感心したのは、脚本。そのプロット。実際、その辺の実写映画なんかよりよっぽど練られて、考え抜かれていると思った。悪役人形たちの気持ちの変化が唐突過ぎるというのは否めないけど、それくらいの強引さは子供向けの90分という時間の中では仕方がないとあきらめてもいいと思う。
 そしてその90分と言う制限の中に、たくさんのピンチやチャンスが散りばめられている。人形には人形の現実があって、失望があって、希望があって、友情がある。今回はいくつものピンチを潜り抜けてきたウッディでさえ絶望を感じる瞬間が訪れる。焼却炉の炎に向かって崩れ落ちていくゴミの中で仲間たちが手をつなぐシーンには人間を超えたものすら感じさせてくれるよ。そして真のヒーローが現れる。
 オオオオオオオオオオオオ。
 エラバレシモノ。
 あれじゃ子供でなくてもワクワクするに決まってる。映画には辛いニューズウィークが「傑作」と賞したのもうなずけた。

 「1」のころから何故バズの声に所ジョージなのかと思ったら、結構ティム・アレンの声に似てるのね。台詞棒読みな所もそっくりだった。まあ、棒読みなのは所ジョージで、ティム・アレンは演技だけど。
 そして、うかつだったことに、ジェシーの声をジョーン・キューザックがやっているということを初めて知った。すごい南部訛りなんで全然気が付かなかったよ。
 トム・ハンクスの年齢も声だけなら気にならなかった。永遠のヒーロー、ウッディの声が歳取っちゃってたら悲しいもんね。
 でも、ウッディの恋人のボーがいなくなっちゃってた。戸田恵子だったのに。きっとガレージセールにでも出されちゃったんだろう。ボーは妹が持ってる設定でもよかったと思うんだけどな。
 今回アンディが青年になっていることで、ボーの他にも既にいなくなってるおもちゃは多い。グリーン・アーミー・メンも昔はバケツ一杯にいて、私もいっぱい買おうかと思ったくらいだったのに、今回は3体しかいなくなっていた。3たいだけ想い出に取っておいたと言うことなんだろう。「1」で大活躍だったラジコンカーもいなかった。トロール人形や「おさるでござる」もいない設定だったけど、冒頭の回想シーンでは大活躍だったのでうれしかった。
 今回は小さなキャラに結構贅沢な俳優陣を使っていたことにプログラムを読んで気がついた。パンツをはいた熊はティモシー・ダルトンだと知ってちょっとうれしかった。「オレは役に集中してるんだ」という一言だけで私を虜にしてみせた。タコのグミ人形はウーピー・ゴールドバーグと言うことらしいんだけど、後から思いだしても台詞なんてあったっけ?と言う感じだった。面白かったのが、「3」にはケン(バービーの彼氏人形ね)が出てるんだけど、その声をマイケル・キートンがやってるの。笑っちゃったよ。ケンていう存在が既に笑えるキャラなのに、ましてやその声をマイケル・キートンがやってんのかと思ったら、私は彼をこのキャラの声優にあてたキャスティング手腕に感心した。でも、ちょっと調べたら、マイケル・キートンは映画じゃ最近めっきりご無沙汰だなと思ったら、声優業が盛んなようで、ディズニーが扱う宮崎駿作品も含め、ピクサー作品では常連のよう。あ、そうそう。「3」ではトトロのバッタもんみたいなぬいぐるみが出てきてた。いいのかなと思ったけど、ジブリ作品の版権はアメリカではディズニーが持ってんだってね。声はついてなかったけど。
 しかし、そうなんだぁ。じゃあやっぱり彼のコメディアンとしての才能が認められてるってことなんだね。

 マイケル・キートンは昔でこそ(今もかもしれんが)二枚目俳優の印象かもしれないけど、「から騒ぎ」以来、私にとってはコメディアンとしての才能が印象深くて、二枚目よりもむしろ三枚目の役の方が彼の才能を十分に活かせると思っている。
 ケネス・ブラナー監督の「から騒ぎ」のキャスティングは今なら到底望めないようなそうそうたるメンバーが名を連ねている。エマ・トンプソン(離婚前)、デンゼル・ワシントン(若い)、キアヌ・リーブス(本家棒読み俳優)、ケイト・ベッキンセール(超若い)、ロバート・ショーン・レナード(今はいずこ)。俳優たちの生き生きとした演技を捕えたケネス・ブラナーの「から騒ぎ」は彼の監督作の中でももっとも出来のいいものだと私は思う。そんな青春の(ちょっと年齢層が高めだが)匂いぷんぷんのすがすがしい作品の中で、マイケル・キートンはひどく汚らしいけど忠実で、勤労な、おつむの弱い警官役を見事に演じています。映画が好きなら、そしてシェイクスピアに興味があるならなおのこと、ぜひ一度は観てみることをお勧めします。 

 「トイ・ストーリー3」は一応3Dって言うことになっているけど、3Dにする必要はなかったなと私は思った。これは観ての印象だけど、あの迫力に欠ける感じは、もともと2Dで製作してたのを編集でむりくり3Dに間に合わせたんじゃないのかな。映像に奥行き感があんまり感じられなかったんだよね。メガネもうっとーしいし、なんだかいまいちな3Dで見せられるくらいなら、いっそ2Dで心おきなく大画面で観たかった。
 しかしこのことは、はからずしもこの映画のいいところは3Dにあるんじゃないということを証明することになったと思う。

 作品の善し悪しは使ってる技術の高さじゃない。
 私はクリストファー・ノーランを支持します。

*** エピローグ ***

 見に行ってよかった。
 ツレが興味なさそうだったので、これも見逃すかなとあきらめていたのだけれど。

 「トイ・ストーリー」は学生の頃の友だちとひとしきりはまったキャラクターたちだった。私にはエイリアンがかわいくって、よく物真似した。そんなキャラものアイテムが欲しくてフィギュアショップにしょっちゅう足を運んでいた頃を思い出す。単館映画のチラシを漁ったり、グリーン・アミー・メンのバケツ売りを買うか本気で悩んだり、インディアンの酋長のスマーフのフィギュアが1200円で高いと渋っていたら友だちが誕生日に内緒で買ってくれたりしていた頃。
 「2」は、「私は映画はトイ・ストーリー」しか観ない」と言う友達と観に行ったけど、「3」はどうやら置いて行かれたようだ。

 この作品には私自身のそんな思い入れも含まれている気がする。
 でも、その勝手な「思い入れ」を超えていい作品になっていた。

 新しい人生を自らの手で選んだウッディたち(というかウッディの独断、というかとっさの思いつきだけど)に敬意を表したいと思う。

toy3.jpg


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