SSブログ

「インセプション」 [watching]

 面白かった。
 連れは当初からこの映画に関してはいまいちな反応で、観逃しちゃっても良さそうな感じだったのだけれど、映画館を出てきたときに「映画館で見てよかったね」と言ったのは連れの方だった。
 そうだろうとも。

 私としては、「ダークナイト」のあの、執拗に執拗に、練りに練って考え抜かれたプロットに比べちゃうとやはり、細部における完成度がいまいちな感が残ったけど、それでも十分見応えあったし、見どころいっぱいで面白かった。
 連れがあまりに乗り気でないので、とうとう見逃してしまうかと半ばあきらめていたけれど、これを劇場で見れたというだけでも満足のできるものだった。
 それと、日に1回午前中にしか上映がなくなるほど、つか、観に行った次の日にはブルーレイの予約が始まるほど公開から時間が経っちゃってても、プログラムがまだ残っていたということも、作品に満足できた大きな要因であった。
 みなさん、プログラムは映画を見る上には欠かせないアイテムですよ。

 世の中には劇場で観なくてもいい作品と、劇場で観ないと作品本来のダイナミックさを味わえなくて作品の楽しみが半減する作品とがある。
 この作品に限って言えば、劇場で観れなかった人、非常に残念だと思います。
 私もプログラムを読むまでは知らなかったけれど、ノーランはアンチ・デジタル派だから、劇場で観てもデジタル映画独特の画面のチラつきとか、パンした時によく出るパンの速度に画面が追いついてないみたいな、気持ち悪いぼやけとかもなくて、素朴に画面の迫力を味わえた。あきらかにいまいちな3D技術がもてはやされる昨今にしてはめずらしく味わい深さのある作品に仕上がっているのも非常に好感が持てた。つまり、おかしな話だが、3Dでない方が、直観的に映像の迫力を味わえた。この映画を観て改めて思ったけど、真面目に丁寧に作るなら、ヘタに3Dにするよりも、鑑賞者に訴えられるものは多いんじゃないかな。
 私はあんまり3D映画には興味ないな。「トイ・ストーリー3」は観たかったけど、それは別に3Dでなくても観たかったし。

 映画始まってすぐにある男の子が気になった。毎度おなじみの、『私、どっかでこの人観たことあるな』と言う感覚。その顔と細身な体からはちょと想像しないような、デカプリオのそばで、結構堂々とした役回り。その子の顔が映し出されるたびに、『どっかで観たような……』と頭を悩まして、ある時チーン!と符合する。思わず、「この子、ヒース・レジャーにそっくりだよ」と連れに耳打ちした。ほんとにヒース・レジャーにそっくりだ。嘘だと思う人はこちらでご確認ください。彼が熱心に話す様子なんかも見れて面白いですよ↓↓↓。
 hitRECord
 (Googleの検索窓に「hitre」まで入れたら完全一致の候補が出てきた。スゲ……。そんな有名なサイトなんだ……)
 この子は映像や音楽のインディペンデント活動にご執心のようで、その辺りもノーランに気に入られた一因かしらとこのサイトを見て思った。彼のそういう活動が報われるといいなと思う。

 そして気が付けば、脇はノーラン・バットマン・ファミリーが固めてるんじゃないか。渡辺謙もそうだけど、スケアクロウもいて、『スケアクロウ役の俳優(キリアン・マーフィー)気に入ってたんだ…』と思ってびっくりしたし、しまいにゃアルフレッドまで出てきた。アルフレッド(マイケル・ケイン)は「バットマン ビギンズ」以来、ノーランの映画にはずっと使ってるんだって。おお、そう言えば「プレステージ」にも飲んだくれのインチキ師匠役で出てたわ。つーか、そういや「プレステージ」にはバットマンも出てたな。なんじゃい。
 話が逸れたけど、そこへ来てヒース・レジャー似の男の子。本当はヒース・レジャーを使いたかったのかなと思ったけれど、ヒース・レジャーと、ヒース・レジャー似の男の子とでは、纏ってる雰囲気がまるで違う。ヒース・レジャーの顔つき、体つきじゃ、どうしたってあのヒース・レジャー似の男の子が見せる洗練されたエレガントな佇まいは引き出せない。ヒース・レジャー似の男の子には、もともと育ちがいいのかなと思わせるほど品の良さが表面ににじみ出てしまっていた。それがとても好印象で作品自体を引き立てていたと思うので、ヒース・レジャーが生きててもきっとこの子を使っただろうということで連れとは意見が一致した。
 この映画では、ヒース・レジャー似の男の子(ジョセフ=ゴードン・レヴィットって言うんだけど)が一番すてきに見える。レオのカウンターを務めるかなり大きな役どころなのになぜか、終始地に足の着いた演技で、所作に無駄な緊張感がなくて(おかげで怒るシーンでは迫力に欠けたが、元来怒るのが難しい人なのかもしれない)、しなやかな感じなんだよね。でも、その理由はプログラムを読んでちょっと分かった気がする。この子が一番撮影を楽しんでいたんだろうなとインタビューを読んで思った。だから、のびのびと演技が出来たんじゃないだろうか。大した情報量もないプログラムでもあるけれど、一番の見せ場をワクワクして撮影に臨んでる雰囲気を良く伝えていた。その気負わない無邪気さが彼を光らせている一因だったかも。

 そして、この作品を見て、渡辺謙に関してはっきりしたことが一つだけある、

 あんたの代表作は「沈まぬ太陽」だ。

 ハリウッドでナメリカ人が想像する日本人なんかやってないで、「沈まぬ太陽」みたいに自分でやりたいと思った作品をやった方があなたは断然光る。
 まあ、プロとして、頼まれた仕事をそつなくこなせるというのも、ある意味「できる俳優」には必要な技量なのかもしれないけれど、ナメリカ人に渡辺謙の良さを最大限に引き出すのは無理だろう。渡辺謙の次のハードルは、海外での躍進ではなくて、「沈まぬ太陽」を超える作品を作れるかどうかだと思う。
 しかし、改めて振り返ってみると、日本を代表する俳優が役所広司と渡辺謙しかいないってのも(北野武は俳優に入れない)さみしい話だなぁと思った。日本人て基本幼く見えるから、ある程度年齢がいかないと興味を持たれないのかもしれないな。

 キリアン・マーフィー(スケアクロウ)は今まで見た中で一番いい演技をしていたように思う。この人はこの顔のおかげで、今まで私が観たどの映画でもヘンな人の役だったけれど、こんなにフツーにナイーブな青年の役もできるんだなと思って感心したくらいだった。
 アルフレッド(マイケル・ケイン)は「作品にヒューマニティ(人間性)を与える」と言うことで、ノーマンのご贔屓にあずかっているらしい。確かに、彼はノーマンの作品では常に道徳的な立場に置かれているな。

 この映画はレオ様以外の脇が素敵な映画であった。
 一見軟派なイームス役のトム・ハーディは唯一作品のユーモアを担当する役どころであったけれど、いざという時には頼りになって、ユーモアに崩れ過ぎず、良識とのバランスのとれた「良い人」という印象が強く残った。
 あと、観る前はなぜ「ジュノ」の女の子なんか使っているのかと思っていぶかしんでいたけれど、観て納得がいった。アリアドネは学生だから、その純粋さと、優秀であるという聡明さを兼ね備えた「少女」が欲しかったんだね。エレン・ペイジはその肩書きにぴったりだった。スーツ姿が似合わないというところまで学生臭くて見事だった。コブに対する執着心が、本人も気づかないうちの恋心なのか、それとも単純な好奇心なのかはっきりとしないところも(私は後者だと思うけど)アリアドネの純粋性を引き上げるよい演出だったと思う。
 連れはマリオン・コティヤールを「魅力がない」と言って嫌がっていたけれど、私は、神経症を患って死んでしまうような人としては、これくらい痩せぎすしてて、神経質な感じの人の方が説得力があるんじゃないかと思った。
 レオは、スコセッシと仕事して以来、どの映画観ても同じ。もともとそんなに幅のある役者じゃないんだろうけど、本人広げようともしてないし、むしろ狭めてきてるんだと思う。演技は悪くないと思うのに、全体としてはなんだか残念な感じがぬぐえない。

 この映画で最初に気を惹かれた瞬間は、レオなんかが渡辺謙の夢で、建物が大きく揺れて崩れだして、「上の階だな…」って言った時。その脈略のない言葉に、これがすぐ不完全な夢なんだって気が付いた。
 夢が階層になるアイディアは面白かった。実際私も2レイヤーくらいまでは経験がある。でも夢ってあんな風に具体的で実際の物事に即した動きをしないから、あんな風に見えること自体には現実味を感じなかったけれど。
 夢の階層ごとに番人がいるというルールも面白かった。そのおかげでヒース・レジャー似の男の子の見せ場が出来た訳だから。無重力でのファイトシーンをあんなにかっこよく立ちまわってみせるなんて、相当トレーニングしたんだろうなと感心しきりだった。ノーマンはCGすらも嫌う傾向にあるようなので、基本アクションは全てライヴなんだって。てことは早回しとかなしにあの無重力ファイトをやってるんだよ?すごいって。この作品ではあの2回層目の無重力シーンが一番の見せ場だったと思う。そこをあの男の子に任せたんだから、ノーマンも相当あの子に入れ込んでいたということなんじゃないかな。

 しかし、観終わって思ったのは、この稼業ってすごいリスクのある仕事じゃない?寝ないと仕事出来ないんだから、寝てる間に物理的な体の方を殺されちゃったらどうするんだろ。そこんところは論じられていなかったような気がするな。私が忘れてるだけかもしれないけど。一応、現実でも仲間の一人が寝てる仲間を監視している訳だけど、作品の最初に出てくる仕事で現実に戻った後、あっさり仲間が敵に寝返ったことを考えると、起きてる一人が寝てる仲間を殺すことだって考えられるだろうに。危ないよ。

 あと、私の想像を絶したのが、現実の世界を捨てて、夢の中で生きて、そして年を取るという選択をした二人の発想。貧困窟で死を待つばかりの老人たちが夢の中に逃げるのは分かる。あのシーンは、甲殻機動隊(Solid State Society)を見た人ならだれでもニヤリするエピソードだ。しかし、夢も希望もある若い二人が、家庭を持って子供も二人ももうけたのに、そんな現実は追いやっちゃって、夢の中で生きたいって狂人的な発想に飛び付いた発端が分からなくって、それが細部の完成度が甘いと思わされた要因の一つ。コブとモルのドラマが掘り下げられないことには、コブのオブセッションの根幹は見えてこない。この作品の根源的な問題が不明瞭なままで、それが観終わった後の消化不良感につながっているんだともうんだけどね。でも、状況証拠からだけでも、夢の中で生きたいなんて、そんな発想自体が危ないから、モルはコブに言いくるめられて現実に戻ってくる以前から精神を病んでいたんじゃないかと思うのが普通じゃないかな。そもそも、モルの秘密ってなんだったんだかも明言されずじまいだった。観てる間に何度突っ込もうと思ったことか。作品中に3回くらいレオが「モルの秘密」って言うからね。だからなんだよそれ。話が見えねーんだよ。

 私はと言えば、とてもじゃないが夢の中に住もうなんて思えない。夢は怖い場所だ。少なくとも私にとっては。だって、夢が自分の思い通りになったためしなんてないよ。いつだって不条理で、理不尽で、そのくせ異様に生々しくて、十中八九私の見たくないものしか見せない。そんなものが現実味を帯びるなんて、それこそ気が狂っちまうよ。
 私の夢にいろんな人がいろんな形で訪れる。死んだ人や動物でさえ。その訪れる形を私が選べない。それがどれだけ恐ろしいことか。夢の中の私でさえビビってる。死んだはずだという認識が無意識化から湧いてくるからだろう。
 現実に生きている人たちに会うんでも、それが好ましい形ではない時もあるし、なにしろ自分自身夢の中ですることが現実の私には考えられないことだったりする。
 確かに夢は逢いたい人に会わせてくれる時もあるけれど、そういう夢を見る意味を考えると怖くなる。他の夢、自分が朝目が覚めていきなり恐ろしげな感覚に包まれるそう言った類の夢も同じ理由から見るのだとしたら?

 私は、夢を探って宝に出会えるなんてとうてい思えない。
 そこにあるのは無意識化に横たわる人間の本性だ。
 そんなもの誰が見たい?
 そんなもの見ちゃったらきっと正気ではいられないよ。

 そうして、でも、私は今日も眠る訳だけれど。

 最後に、コブが現実に戻れたかどうかという疑問だけれど、連れは戻れたと自信を持って答えていた。コマが倒れそうだったから。確かに物語はコマが不安定な音を立てて終わる。でも、私に引っかかるのは、コブを迎えにアルフレッドが空港へ出向いていたこと。そんなこと、追われる身のコブが言うと思うか?2つ目には再会した子供たちの大きさが、コブの夢の中に比べて小さすぎること。あの年齢の事どもなら日進月歩で成長するだろうから、コブの記憶よりもっと大きくなっていてもいいと思った。それより何より、コブが仕事から目が覚めてすぐにコマを回さなかったこと自体が怪しい。

 それでも、あのコマの倒れそうな不安定な音に希望を託したいと思う。
 コブと、仲間たちと、子供たちのために。
 それが、私の感想。


inception.jpg
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:映画

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。