「劇場版TRICK 霊能力者バトルロイヤル」 [watching]
私が日本の映画を見ない理由のひとつに、
「なぜ映画にするのか理解しがたいスケール感」
というのがあるんだけど、この映画はその最たる例の一つだ。
なぜ?
なぜこれを映画にしたい?
前観てもつまらなかったのに、今回も観に連れてきておいて「つまらないね」という連れ。
なぜ観たい?
このつまらなさを観たいからに他ならない。
理解に苦しむけど、つまりそう言うことなんだろう。というか、そうとしか思えない。
つまらない映画を見せておいて腑に落ちないのが、私が映画を見ながら突っ込みを入れると必ず連れが私の口を覆う。なんでやねん。そうは思わんのか。
あんなでかいちん○ん、最初から出しといたら全てが丸く収まったんちゃうのか。
そして帰り際に「山田に好きだって言ったところであんなに大きいんではうまくいかないな」と言ったらつねられた。だってあんなん山田じゃなくたってうまくいかんだろうが。そうは思わんのか。
どーでもいいけど、こんだけ人が死んでて軽すぎる。
終いにゃ、甘えん坊将軍を刺しちゃった男の子がかわいそうになっちゃった。あの子はこのあと絶対に人生を踏み誤るよ。
つか、村長もそんなかわいそうな男の子に「しっかり罪を償って」って、お前ら全員殺人ほう助だよ。何寝ボケたこと言ってんだよ。
桜井の肩持つ訳じゃないけど、話の筋ってだけで安易に、しかも無意味に人を殺しすぎだ。
矢部に至っては絡んで来なくても良かったんじゃないの。
オチも雑すぎて、中学生の書いた脚本か?と思いたくなる。
映画の中身がないので、映画で使われた要素だけで反省会を盛り上げるしかない。
双子が疎まれる風習が一時期あったことはなんとなく他の本なんかで知ってた。一人を家の中、例えば蔵とかに隠して育てたんで、そっからそれら不詳な子供の存在をカモフラージュするために座敷わらしのようなフィクションが生まれたという説も。年がら年中蔵に隠してたんじゃかわいそうだからつって、年に何度かお祭りとか、大勢で集まるイベントのある時に、人出の多さにまぎれて外に出したりするもんだから、いつもの子供の数だけおやつを用意しといたら足りなくなったりする都市(田舎)伝説の背景という説とか。
連れが、双子はいっぺんに手がかかるから、「口減らしのためであったんじゃないの」とめずらしく冴えたコメントを口にしたものだから、「でも、だったらわざわざ蔵に匿って生かしといたりするのは道理にはずれてない?」って突っ込んだら、「だから裕福な家庭なら」というのを聞いて、なるほどと合点がいってしまった。
つまり、座敷わらしって悪い霊じゃない。縁起物っていうか、吉兆だと思われているよね。現れたうちに福を呼び込むって。だから、例えば、リッチな家庭、庄屋とか、地主とかに双子が生まれたとする。普段小作人なんかには口減らしさせている手前、自分のとこだけおおっぴらに二人育てる訳にも行かないので、一人を座敷奥や蔵に閉じ込めたとしたら?結構つじつまの合う推測だよね。
それにしても甘えん坊将軍の立ち位置も中途半端だったなー。なんで火が外側に向かって行ったのかも分からんかったし。あからさまなリング系の要素の盗用も、いかにもやっつけ映画にしか見えなかった。
こんだけつまらないの見た後も、暫く方がが続く予定。
「なぜ映画にするのか理解しがたいスケール感」
というのがあるんだけど、この映画はその最たる例の一つだ。
なぜ?
なぜこれを映画にしたい?
前観てもつまらなかったのに、今回も観に連れてきておいて「つまらないね」という連れ。
なぜ観たい?
このつまらなさを観たいからに他ならない。
理解に苦しむけど、つまりそう言うことなんだろう。というか、そうとしか思えない。
つまらない映画を見せておいて腑に落ちないのが、私が映画を見ながら突っ込みを入れると必ず連れが私の口を覆う。なんでやねん。そうは思わんのか。
あんなでかいちん○ん、最初から出しといたら全てが丸く収まったんちゃうのか。
そして帰り際に「山田に好きだって言ったところであんなに大きいんではうまくいかないな」と言ったらつねられた。だってあんなん山田じゃなくたってうまくいかんだろうが。そうは思わんのか。
どーでもいいけど、こんだけ人が死んでて軽すぎる。
終いにゃ、甘えん坊将軍を刺しちゃった男の子がかわいそうになっちゃった。あの子はこのあと絶対に人生を踏み誤るよ。
つか、村長もそんなかわいそうな男の子に「しっかり罪を償って」って、お前ら全員殺人ほう助だよ。何寝ボケたこと言ってんだよ。
桜井の肩持つ訳じゃないけど、話の筋ってだけで安易に、しかも無意味に人を殺しすぎだ。
矢部に至っては絡んで来なくても良かったんじゃないの。
オチも雑すぎて、中学生の書いた脚本か?と思いたくなる。
映画の中身がないので、映画で使われた要素だけで反省会を盛り上げるしかない。
双子が疎まれる風習が一時期あったことはなんとなく他の本なんかで知ってた。一人を家の中、例えば蔵とかに隠して育てたんで、そっからそれら不詳な子供の存在をカモフラージュするために座敷わらしのようなフィクションが生まれたという説も。年がら年中蔵に隠してたんじゃかわいそうだからつって、年に何度かお祭りとか、大勢で集まるイベントのある時に、人出の多さにまぎれて外に出したりするもんだから、いつもの子供の数だけおやつを用意しといたら足りなくなったりする都市(田舎)伝説の背景という説とか。
連れが、双子はいっぺんに手がかかるから、「口減らしのためであったんじゃないの」とめずらしく冴えたコメントを口にしたものだから、「でも、だったらわざわざ蔵に匿って生かしといたりするのは道理にはずれてない?」って突っ込んだら、「だから裕福な家庭なら」というのを聞いて、なるほどと合点がいってしまった。
つまり、座敷わらしって悪い霊じゃない。縁起物っていうか、吉兆だと思われているよね。現れたうちに福を呼び込むって。だから、例えば、リッチな家庭、庄屋とか、地主とかに双子が生まれたとする。普段小作人なんかには口減らしさせている手前、自分のとこだけおおっぴらに二人育てる訳にも行かないので、一人を座敷奥や蔵に閉じ込めたとしたら?結構つじつまの合う推測だよね。
それにしても甘えん坊将軍の立ち位置も中途半端だったなー。なんで火が外側に向かって行ったのかも分からんかったし。あからさまなリング系の要素の盗用も、いかにもやっつけ映画にしか見えなかった。
こんだけつまらないの見た後も、暫く方がが続く予定。
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