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「イーグル・アイ」 [watching]

 「ハンコック」の話をしてて、ウィル・スミスの映画は大抵独立記念日に公開されるとか、鷲がナメリカの象徴であるといういかにもナメリカ気質な逸話を不覚にも韓国娘に教え込まれたが、この映画を見たときにはすでにそんなことはすっかり忘れてしまっていて、自分でも驚いた。そうじゃん。答えはずっと目の前にあったのに。

 ラブーフがかなりのやんちゃだということを知ってからは、個人にはあまりいいイメージはないのだが、どういうわけか作中のラブーフは真摯なキャラだった。なんでなんだろう。見ず知らずの神経高ぶったおばさんと、誰のせいでこんなになったみたいな言いがかりを、大声でなじりあってるその舌も乾かないうちに、トラックに轢かれそうになるのを本能的に身を挺してかばおうとする。また個人的に知りもしないそのおばさんに、さらに知りようもない自分の兄弟を諸悪の根源のように言いがかった上に、大人らしくきちんと謝りもしなくても、ラブーフはそのどうにもヒステリックでパラノイアな女性のために車のドアを開けて待ってやったりする。
 一体このジェントルマンキャラは誰のアイディアなんだ。

 こんなに紳士なラブーフが彼女の何にそんなに惚れたのか、どの時点でそんな気持ちになれたのかはちょっと私にはわからなかったな。だって、彼女はラブーフよりも大分年上なのに。
 とにかく、ラブーフは髭は生やさないほうがいいと思う。顔が子供っぽいからとってつけたような不精髭は似合わない。

 ちょっと首をかしげたのは、ラブーフもそうなんだけど、「彼女」から逃げようとする。私だったらしないだろうなという謀反をみな考える。実行さえする。ラブーフなんて最初から反抗し通しだった。私がラブーフの立場だったらきっとなんの疑いもなくその言葉に従っただろうと思う。そもそもがこんな訳の分からない理不尽な窮地に追い込まれてるところへ、「逃がしてやる」というのなら、むしろそのアドバイスに飛びつくだろう。だがラブーフは終始「おまえは誰だ」という、ちょっとはたから見たら、というか私からすれば、『それって意味あんの?』という質問をしつこくして時間を無駄にしようとする。変なのと思ったが、きっとその辺が生死を分ける境目なんだろうな。生きてヒーローとなるか、愚鈍に死んで凡人を証明するか。

 この映画見て思ったのは、人は結局なんだかんだ言って、総合的、もしくは最終的な判断をコンピューターなんかに頼んないだろうなっていうこと。最終的には自分なんかの「思惑」が「客観的な分析データ」を越えるにきまってるもん。だってさ、人がコンピューターの演算に求めるのは「究極的な答え」じゃなくて、「汎用性のある傾向」だと思うんだよね。なので、冒頭の爆撃か否かを問答するシーンで、最終的には大統領に”You have go.”と押し切られてボタンを押さざるを得ないというのが人の世の常というか、まさに人の世のあり方だと思うんだよね。コンピューターって、人間にとってみれば、要は事実を教えてくれさえすればそれでいいんだよ。

 オチは、かなり「そんなのさっさとやったらよかったんでは?」と思う類の、なんとも子供騙しな程度だったな。10年くらい前の映画の中のおちみたいに感じた。

 ラブーフ、引っ張りだこだな。しかし、全部同じ役。
 それでも「トランスフォーマー2」は見てみたいかな。
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