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「俺たちダンクシューター」 [watching]

 「俺たちフィギュアスケーター」はまともに予告を観たことすらなかったが、その画面からはどうしてもいや~な感じしか受けなかったので、しつこくお誘いがあったけど私も粘り強く断った。けど、こっちは何となくピンときた。これなら大丈夫そうと。過大な期待をしたわけではなかったけれど、予想外な楽しみがあって結果として観て良かったかなと思う。ただまあ、こういうのはなにも劇場にまで行ってみなくてもいい類の映画ではあるよね。なので、観終ったあとやたら贅沢をした気持ちになったのは確か。これから観に行くという人も少ないだろうが、もしいれば、前売り券を購入して行かれることをお勧めしたい。

 ウィル・フェレルとティム・ファレルと間違えて会社の子に説明してしまっていたことを、プログラムを観て思い出したが、彼女もきっとティム・ファレルと聞いて別のものを想像していたに違いないと思い、特に罪悪感は湧いてこなかった。ウィル・フェレルとティム・ファレル。どっちもコメディアンで、特にティム・ファレルがウィル・フェレルの年取ったバージョンにしか見えないほど外面も似通っているとあっては、この迷惑甚だしい芸名はウィル・フェレルの狙いだろうと思わざるを得ない。
 サタデー・ナイト・ライブ出身と聞いても驚かなかった。ハリウッドで成功するコメディアンの多くがSNLの出身だし、SNLがコメディアンにとっての映画進出の登竜門的存在になっていることは、SNL側の意識がどうあれ既に歴然とした事実となってしまっている。マイク・マイヤーズ、アダム・サンドラー、クリス・ロック、などなど。むしろ、ジム・キャリーみたいなのが異例か。SNL出身でもなく、ましてやナメリカ人でもないピンのコメディアンがハリウッドの映画で常連だなんて。

 話が逸れたけど、ウィル・フェレルがどういう仕事をするかはいくつか他の映画を観て知っていたので、大体予想がついた。この人の演技は大体どれも一緒で、ましてやこういう映画ばっか撮ってて、完全にこの人の仕事自体がパターン化されてるのに、よくこんなんであきられないなとちょっと不思議に思う。「主人公は僕だった」はエマ・トンプソンがノイローゼの作家という彼女らしいエキセントリックな役に挑戦していて、他の共演者も豪華でありながら私に二の足踏ませた嫌な感じの出所はやはりこいつではなかったかと思う。70年代のエロバカナンセンスも、当人の出た「オースティン・パワーズ」がもうしばらく前っていう過去の領域に追いやられたから手を出せるテーマだ。ひょとしたら彼にとってはそれがあったから湧いたアイディアで、その頃から温めていたのかもしれないなとも考えた。
 私は予告を観ててハレルソンの出てるのがずっと気になってたんだけど、なんとなくギリギリセーフな感じで終わってくれてほっとしたというのが感想。フツーの人の役だった。フツーの人を、フツーに演じてて、改めて『この人はやろうと思えばこんなにそつなく仕事ができるのにもったいないなぁ』と思った。今ちょっと思い立ってググってみたんだが、お父さんがマフィアの殺し屋で終身刑を食らってて、今も服役中だとか。なんじゃそらと思ったけど、確か「ナチュラル・ボーン・キラーズ」ん時にそんな話を聞いたような気もするね。何となくだけど、ウディはもうというか、最初からそうだったのかもしれないけど、少なくとも当初よりかは演技することにこだわりを感じなくなっているのかもしれない。なんか生活の中心としたいものが別にありそうで。映画はその為にお金を稼いでくる手段でしかないのかもしれない。「ラリー・フリント」でオスカーにノミネートされたとき、『きっとこれがウディのキャリアで最も輝ける瞬間なんだろうな』と悲しい確信の予感は現実になりつつある。彼がもう46歳だって言うのをプログラムを読んで知って驚いた。
 ウディの恋人役がERで看護婦やってた人なんだけど、もともとハスキーだった声がさらにかすれてしまって違う人の声みたいになっているのに驚いた。連れがこの人を気に入っていた。この人を最初に観たのは「ライアー・ライアー」でジム・キャリーの奥さん役だったんだけど、縁があるのかその後もちょいちょい見かけたが、どうも彼女は所帯染みた感があるのか、見かけるたびに必ず誰かの奥さん役だった。まあいいんだけど。確かに素朴で落ち着いた印象の女性だ。だから自分の生活以外に何かこだわりがあって、仕事も遊びもバリバリのキャリアウーマンとかいう都会的な女性のイメージはそぐわない。それにしても、彼女とウディの色恋沙汰はあまりにもパッとしない話だったので、別にこのプロットはなくてもいいなぁと観ながらでさえそう思わされた。体を張ったシーンもあるので、彼女には悪いとは思うんだけど、でも、作品の品格をも一つ上げるんだったら、このもっさいロマンスはこの際おいといて、か、少なくとももっとプラトニックなものに抑えて、最初から最後まで男臭いスポ根友情ものにした方が後味もさっぱりして、映画が引き締まったと思うんだよな。って、多分そう言う「締まり」も、「さっぱり」感もこの作品作りにかかわった人たちの目指す物の中には含まれていなかったんだろうけど。
 で、も一人、年で驚いたのがいて、クラレンス役のアンドレ・ベンジャミン。同い年だった。あそう。もちょいうえかと思っていたが、私も言うほど若くない。なんとも冴えない芸名だが、しかしこれで既に何本か出てしまっているらしい。という事実にも驚いた。しかし、どれも私のまず観なさそうな映画なのでしょうがない。この作品一番の楽しみは、アウトキャストのこの人の演技を観れたということだった。アウトキャストのPV観てる頃から芝居っけのある人だとは思っていたけれど、この程度の演技なら慣れたものって言う感じだった。シリアスな場面になってしまうと途端に歯が浮く印象が画面にへばりついてしまってその辺はまだかっこ悪いけど、二足のわらじとしてコメディをこなす分くらいには十分演技ができると思った。コートでのなりきったパフォーマンスを観て、『ああ、この人ちゃんとクラレンスのキャラをつくってきているんだな』と思って感心した。「クラレンスのキャラ」と言ったら大げさかもしれないけど、弱小チームの尊大なワンマンプレーヤーがそれでもみんなに愛されるようなしぐさを彼らしく演じてみせていたと思う。本人もバスケでどうやってプレーヤーがパフォーマンスするかということを頃得ているんだろうな。それにしてもクラレンスはかっこよかった。作品中クラレンスばっか意識してた。一番ユニフォームが似合ってたし、それがまた彼の自慢のアフロを引き立ててた。

 そんなわけでユニフォームがほしかったが、売店には売ってなかったし、プログラムの最後にも通販のページすら設けられていなかった。おかしいなぁ。欲しい人いっぱいいると思うんだけど。ナメリカだと買えたりして。

 適当な造りの映画なので、可もなく不可もないが、だからと言ってこの「俺たち」シリーズをバカみたいに続けないで欲しいと願うばかりだ。

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