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「ノー・カントリー」 [watching]

 トミー・リー・ジョーンズがその苦悩を深々と刻まれた眉間の皺にじませながら、長々ととりとめもない夢の話をし終えて、画面が暗転する前のその一瞬の間に、時間的にもうそろそろそうだということではなく、ただコーエン兄弟の作品を知る者の本能として『ああ、これでこの作品は終わるんだな』と察した。そしてその一瞬後画面は暗転した。

 まず、この映画を見る前に手にしたプログラムで、作品のタイトルはイェイツの詩から取ったものだということを知っていきなりショックを覚えた。だって、この前読むものがなくなってイェイツの詩集を買ったばかりだったから。よくよく個人的に縁の深い詩人だなと思った。つって、肝心の詩集はまだ全然読んでないんだけどね。
 ああ 恋人は 赤い 赤い 薔薇のよう
 確かこのイェイツの有名な詩は、中学校の時の英語の教科書の付録についていたような気がする。イェイツの詩集は「夢のイニスフリー」が読めたらなと思って買ったのだけれど、どうやら私の買った詩集には目当てのものは含まれていないらしい。ということが判明して以来、手に取る気をなくしてしまって。そんなことしてる間に「ヒッチ」に出会ってしまって。という変遷を辿って今に至る。イェイツの詩集は、というか私の買いたい本とかDVDって割とそいうことが多いんだけど、Amazonで在庫がなかったりするんで、どうにも手が出しにくい。頼んでもいつ来るんだか分らんし。かといって駅ビルに入ってるような普通の本屋に行ってイェイツの詩集が置いてあるとも思えない。JUNKDOとか行った方がいいのかなと思わなくもないんだけど。三越の中なんだよなぁ。伊勢丹の中に引っ越してくれないかな。三越の買い物でも伊勢丹カードの年間購入額に入れてもらえるならもうちょっとモチベーションも上がるんだけど。

 で、話が逸れたけれども。
 この兄弟がアカデミー賞を獲ったと聞いた時から嫌な予感はしていたのだけれど、蓋を開けてみればやはり「ファーゴ」だった…。ああ、やっぱり…。救いなのは、当の兄弟自身、この作品と「ファーゴ」の類似性を認めているということだった。そうですか…。だったらなぜ今回の作品がアカデミーに受けたのかもわかってるだろう。

 最初はすごく面白かったのよ。この名も知らぬ俳優(と当時は思っていた)が演じるルウェリンはとても興味深いし、とても魅力的に描かれ、また演技出来ていると思う。私はルウェリンの出てくる場面なら安心して見れた。
 最初はルウェリンばっかり出てくる。この話の筋にどうかかわるんだかさっぱりわからないまま、しつこく画面に登場してくる。しかも彼の行動は不可解だ。普通の人間なら本能的に避けるような状況を目の前にルウェリンは慎重ではあるけれど、決して臆することなくずんずん足を踏み入れて行ってしまう。その身の危険をまったく顧みない大胆不適な行動に正直「惚れ」た。私にそんな風に思わせるキャラなんてそうそういないよ?けどきっとみんなルウェリンのことはかっこいいと思うんじゃないかな。分かりやすく言えば太く短く生きる姿勢に。ピンチはチャンスというか、危険の先に得るものの大きさを本能的に嗅ぎ取っているとしか思えないその不遜な行動に。ルウェリンは一人でどんどんどこまでも行ってしまう。行ってしまって帰れなくなるほどに。好奇心の塊というか。彼を突き動かしているのは、冒険心というよりも、好奇心に似たものだろうな。トラブルの匂いがプンプンなのにルウェリンにはそれを回避できるというか、逃げおおせられるという自信がみなぎっている。いや違うな。ただ単に後先考えずに『このままこの先に行ったらどうなんだろう』という後先考えない、ただ単純に、それこそガラスのように磨きあげられた純粋な好奇心が彼の行動原理だったように思う。自分の思うところにひたすら頑なで一途な姿勢は確かに若者のイメージだ。映画の中で何度かルウェリンのことを"boy”って呼ぶんだけど、作品を観てる間は『ボーイって年には見えないけどなぁ』と思ってちょっとおかしかったけど。観終わった後で彼の行動を振り返ると確かにおっさんだったらあんな無謀なことはしないだろうなって思い直した。で、こんなにかっこいいルエウェリンを演じてる人が他でどんな仕事してるのかと思って後でプログラムを見てみたら、なんと「インビジブル」に出ていると言うじゃないか。その中のそれらしい顔に思い当って愕然。あれ?あの男?すげーーつまんない役、っていうかキャラだったけど…。こんなにいい仕事できる人だったんだ…。と思って。プログラム曰く、結構癖があって挑戦しがいのある役を好むらしい。そうなんだ。じゃあきっと私が彼のほかの仕事を知らないでいただけで、きっと仕事熱心な性格俳優っぽい人なんだろうなと思った。この作品のオーディション用のPVを当時撮影してた映画の監督、ロドリゲスとその先輩風を吹かすクウェンティンに撮ってもらったというエピソードも面白かった。
 一番印象的だったのは、そのルウェリンのことを「あの人も諦めないわよ」と評した妻の言葉だった。その発言にルウェリンのことをよく理解しているという絆を感じて、いい夫婦だと思った。お互いを信じているのがよくわかった。発言はそれだけだったけれど、私も夫婦になるならそんなふうになりたいなと思った。
 しかしこの奥さんを観てるとどうしてもどっかで見たことがあるという思いがちらついて、その割にはどこで見たのか全く思い出せなくて、後でプログラムを見て唖然。私この人の作品すごい量見てる。「ネバーランド」のピーター・パン役、「ゴスフォード・パーク」のメイド役、「トレインスポッティング」のショートヘアの女の子、そして「銀河ヒッチハイクガイド」。唖然…。そんなバカな…。この映画をすべて見ていて、どの役もきちんと見ていたのにどれも同一人物とは気が付かなかったなんて…。ケイト・ウィンスレット似なその容姿が既にイギリス臭さを漂わせていて、この映画で彼女を最初に見た時から『アメリカ人か?』という違和感を感じてはいた。けど、確信が持てなかったし、それに南部訛が激しくて、まさかそんな役にわざわざイギリス人を使うとは思わなかった。エライことだよ。もう原住民とも言っても差し支えない言語レベルの役をわざわざ外人にあてがうくらいなんだから、彼女の演技に、その訛の仕事に、それら事実から想像されるギャップを全て考えてもなお彼女がいいと思わせる何かがあったわけなんだから。すごいなぁ。「ヒッチ」の彼女はニュースキャスターだ。あの頭の悪そうなキャラのニュースキャスターはなーんか気になっていたが。まさかこんなに縁があったとは…。そしてそのどれ一つとして気が付いていなかったとは…。ほんと驚いた。

 ということで、あまりにもルウェリンが好演技でかっこよく見えるので、なぜルウェリンにはオスカーにノミネートすらされなかったのか不可解でしょうがない。それに引き換え当の受賞者ハビエルの演技がどうだったかと言えば、私は言うほど感じるものはなかったのでつまらなかったというのが正直な感想。うーん、そんなに良かったかなぁ。そんなに難しい役だったろうか。言うほど鬼気迫る感じもしなかった。レクター博士に比べればまだまだ子供じみてると思う。無慈悲で残酷なことでも平気で出来るというのはそうだけど、レクター博士にあったような狂気みたいのはなかったと思う。コーエン兄弟曰く、「シガーはなぜそこまで残酷になれるのかが分らないから怖い」と言っていたけれど、そんなんレクター博士だって同じじゃん。少なくともなぜ彼があんなに狂っているのかということは「羊たちの沈黙」では触れられない。ただそう言う狂人だというだけだ。あれの演技に比べたらと私は思う。ので、愉快とも思えない殺しを重ねていくだけの彼は不愉快にしか映らなかったし、彼の手にかかった多くの人々がそう言ってきたように”you don't have to do this.”という感じだった。なんか、怖いというよりも、『なんでこんなことを?』っていう不可解な気持ちが後味としての残った。
 ただ、これもプログラムを読んでわかったことなんだけど、彼のアメリカ俳優組合だかの授賞式でのスピーチはいいなと思った。彼の家系では代々俳優を生業としてきたらしい。ただしスペインでは3世代前で俳優と言えば、印刷物には表記できないような差別的な扱いをされる職業だったらしくて、死んでも教会には埋めてもらえなかったらしい。そんな風潮の中をずっと親子で、家族で、自分たちの仕事は尊いと信じてやってきたんだなと考えたら、すごいなと思って感心した。同じ俳優でも、彼らが背負ってきたものはその場に居合わせた人々とは全然違う。それを家族で生き抜いてきたという事実が、姿勢が、とてもまぶしく感じる。家族はさぞ鼻が高いだろうな。家族の背負ってきたものが報われた瞬間でもあるわけだから。それが本国ではないにしても。

 トミー・リー・ジョーンズは珍しく弱気な役だった。そんな役が回ってくるほど彼も年をとったということなのかな。彼の演技にそれほど感じ入るとこはなかった。とにかく世を憂いてふがふが不平や不満を漏らしている。口を開けば「昔はこんなじゃなかった」という年寄りらしいことしか言えない。多分そう言うことはどの世代も別の世代の今を見てはそう思うにきまってるんだ。例えば、最近の若い子は映画の字幕が読めなくなったって新聞記事に出てたのを私にし話してくれた人がいるんだけど、その記事曰く今時の中学生とかは「ソ連」とか「アパルトヘイト」とかいう一昔前の時事を知らないようで、字幕に出てくると何のことを話しているのか分らないらしい。けどさ、私だって自分から映画を見るようになった頃、ベトナム戦争やウォーターゲート事件を知っていたわけじゃない。そう言うのは皆映画を見るうちにわかって行ったことだった。もちろん、大きくなれば授業でも多少扱われる事象もあったし、自分で勉強して知ったこともあった。公民権運動とかケネディが暗殺された大統領だってことだって授業で特に取り上げられたって言う記憶はない。だから、一昔前の時事を知らないことはそれほど不自然ではないと思う。ただレベルの問題はあると思うよ。例えばドイツは二次大戦後は東西に分けられていたとか、ソ連の旧体制の崩壊とか言う程度の事象は学校で教えて然るべきだと思う。それをしてないって言うならそれは教育の問題だ。ゆとり教育のせいだろ。また字幕が読めないって言うのが漢字のせいだとしてもやはりゆとり教育のせいなんじゃないかと思う。字幕でそんなに難しい漢字使うわけないもん。それほどまでに学力が低下してるって言うなら個人のレベルがどうとかじゃなくて、国の教育方針の問題と普通思うよね。

 話がまた逸れたけど。
 ラストシーンでの長々としたトミー・リー・ジョーンズの独白には元ネタがあるともプログラムには書いてあったけど、私はあれを聞いた時、Guns N' Rosesの"Dead Hose"を思い出してた。南部の厳しい冬。雪深い山の中。その中を暖を求めて馬で進む姿。歌詞もそうなんだけど、またPVがまんまそんな感じだったので、トミー・リー・ジョーンズの話と重なった。
 トミー・リー・ジョーンズは京都が好きなんだって。まああそこに行ったことのある外人であそこを嫌いになる人はあんまいないと思うけど。それ読んで、『あー、私が紹介してあげてもいいのになー』と、別に地元の人間でもないのに思ってしまった。

 作品は半分がかなり痛々しい暴力的な描写に覆われていて、はっきり言って観るのが苦痛なくらいだった。観てて、この感覚は「アイ・アム・レジェンド」の時のそれと似てるなと思った。痛ましいシーンに神経を、というか我慢してるから体力も、いたずらに消耗させるひどい映画だった。ルウェリンの好演にもかかわらず、もう二度と見ないと思う。観るにしても最初のルウェリンが活躍する場面だけだ。それくらいに度々見たくないシーンに溢れているので。

 最後、腑に落ちなかったのが、いかに手加減知らずのサイコとは言え、なぜこれほどまでに素性の割れてしまっている奴がさっさと殺されたり、捕まったりせずに生きながらえているのかということだった。誰か止めろよ。いくらだってそのチャンスはあったと思うんだよね。結局、トミー・リー・ジョーンズみたいにみんな怖気づいちゃって、他人の痛みに無神経になってしまって、それで地元警察は頑張れば救えたはずのものも救わずに放置したってことなんだろうか。そこがよくわからなかった。
 けど、作品は単にこの史実を再現することが目的なんじゃなくて、ひたすら彼らの考えるテーマを観てる方に投げかけることが目的だ。だからこそあんな終わり方をして、素性とかそういうベースになる部分の説明的な描写はない。プログラムの中のインタビューでコーエン兄弟は「現実は無慈悲で気まぐれなものなんだ」というようなこと言っていたけれど、そのテーマはまさに「ファーゴ」の前伝コピーそのものだ。確か、「現実は 悲しくて おかしい」みたいなものだったと思うんだけど。つまりこの兄弟は似たような作品で受賞したことになる。まあ確かに今年のアカデミーのノミネート作品では他に賞をやるべき作品もなかったと言えばそうなのかもしれないけれど。
 あと、これもプログラムにあったインタビューで知ったんだけど、「白の海へ」は製作費が付かなくて中止になったみたいね。どおりでいつまでたっても映画ができてこない訳だと思って納得した。私、コーエン兄弟が監督・脚本でしかもプラピが主演だっていう触れ込みだったから「白の海へ」の原作を買ったのに。騙されたじゃん。こういう宣伝で買った人には何か保障がされてもいいんじゃないかと思った。話的には面白そうだったんで、期待してたんだけど。しかし肝心の小説は最初ちょっと読んだだけでとん挫した。だって、面白くないんだもん。私はあの面白さのなさは翻訳者のせいだと思ってるんだけど。けど、確かに言われてみればかなりヤバい内容だ。特にアメリカがこの話を映画化するなんて確かに考えづらい。だって、二次大戦中に闇夜に紛れて日本本土に作戦上陸したナメリカ兵が、生きて祖国の土を踏むために逃亡途中で出会う日本人をバッサバッサとなぎ払うが如く殺して先へ進む話なんだよ。しかも兄弟曰く、その間ブラピにはセリフがないんだって。日本語わかんないから。というわけで、ナメリカ人としてみればいかにももまずい内容だったので、そんな作品をわざわざ映画化しようなどと思うナメリカの制作会社はなかったということらしい。で、無口なサイコキラーのロードムービーが棚上げになってしまったところへ、「ノー・カントリー」の原作が舞い込んできたと。
 そんな原作を買って待っていた当の私でさえ忘れていたことを、聞かれてもいないのに自分から話してるという機会を掬えてほんとに私はラッキーだと思った。それも自分ではそんなことちらとも頭をかすめない、一見全く無関係な作品のプログラムの中にそんなエピソードが転がっていたとなればなおさらだ。私は運が良かったと思うし、このプログラムはそう言うった意味では大変情報が豊かでよくできていると思って感心した。

 かなり心身ともにきつい作品ではあったけれども、いい俳優や女優との出会いもあったし、それにまつわるいろいろをプログラムから発見出来たりもしたから、観てよかっと思ってる。久しぶりに読み応えのあるプログラムだったと思う。作品の印象はどうあれ、プログラムの内容はすごくいいと思ってる。いろんな情報や貴重なエピソードのおかげで、手加減なしの暴力シーンの台風を潜り抜けて、げっそりとやつれてしまった気持ちを和らげる助けをしてくれた。

 今回はつまらないばかりか、観ること自体にかなり苦しめられたので、是非次は私好みの作品を作って欲しいと思う。

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