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「アイ・アム・レジェンド」 [watching]

 確か、"The Enemy Of The State"だったと思うんだけど、一緒に観に行った友達がウィル・スミスがその映画で3度世界を救う男と言われていると教えてくれた。ウィル・スミスはこれで何度世界を救ったことになるんだろう。みんな彼の何にそこまでのヒーロー性を見出してるんだろう。彼自身、そんな人間なんだろうか。自分を犠牲にしても世界を救おうとするような。

 この映画は前知識が全くない状態で見に行った。多分、プロモーション側も意図的にストーリーに関する部分は露出させなかったんだと思う。おかげでえらい目にあった。何かで世界に一人だけ生き残ってしまった男の話ってことだけで、どうして一人だけ生き残ったのか、どうやって他の人は死んでしまったのか、生き残ったその後の話でどう映画にしているのか、ストーリーの柱になる部分を全く知らなかった。

 最初、人類が滅んだ理由が分かる。ほーほー。この映画でエマ・トンプソンを見るとは思わなかった。すげーーちょっと出。しかし、世界に経った一人残された割には異常なまでに時間に敏感だったり、夜は怯えるようにバスタブの中で犬を抱いて眠ったりするのが気になった。なんだろう。みんなの死んでいった記憶がそんなに怖いんだろうか。と、予備知識のない私は無防備にそんな風にボケッと考えてた。
 物語の本質を知ってショックを受けたのは、犬が鹿を追いかけてビルに飛び込んでしまったとき。何をそんなに怖がるんだと私にも恐怖が伝染してしまったくらいだった。主人公が恐怖を押し殺して歩みを進めていく様に、『まさか?まさか??』と緊張しながら見つめてる先に

 でたっ……

 なんか出た……

 今なんか見えたよ……。これそう言う映画なんだーーー……。全然知らんかった……。以降、連れとビクビクしながら画面を見てた。意外だったのが、と言うか、あきれてしまったのが、この映画、バイオハザードでありながら、宗教持ち出してきやがって、しかもそれは信条の問題じゃない。超自然な現象での話だ。つまりオカルトなんだよ。なんじゃこの話は。しかも、一方的に話は終わる。観客おいてけぼり。世界人口の99%が腐ってゾンビになっていたというドラマの重みはどこへ。いやはや、とんだ2流映画だった。まあ救いなのは、主人公が最後に自分が地獄に置き去りにされた理由を納得した上で進んで死を選べたことか。

 神様とかっていると思う?いてもね、それって人間のためにいるわけじゃないと思うんだ。無尽蔵に膨れ上がる人口に地球が悲鳴を上げる。人間人身はそれに何も手を下さない。だから神様が手を下す。とりあえず9割がた殺しとくか。そこに誰が生き残って誰が死ぬかは決まりがない。くじ引きでガラガラを回すみたいに、たまたまそう言う因子を持ち合わせた人だけが生き残れる。しごく公平だ。けど、この場合必ずしも生き残ることが幸せだとは限らない。むしろ全てを忘れて、自分が何者であったかも忘れて、ダークシーカーになれてしまった方が幸せだろう。けど神様は、全ての人間を殺してしまうわけじゃない。地球が自身の安定を取り戻せるくらいまで人間を減らせればそれでいい。世界のバランスが取れるくらいまでに人間を間引くことが課題であって、完全人間が消えてしまうことは地球にとってもよくはない。人間もそんな風にして、増えすぎたイナゴかなんかみたいに、神様の一払いであっという間に駆除されてしまう。文明とか英知とか、人間はさも他の生き物たちとは次元が違うとその存在を誇っているけれど、実は地球からしてみれば私たちなんてゴキブリと同じなんだわ。と、この映画観てて思った。だから、神の啓示だなんて喜んでいる人の気が知れなかった。神様は私たちを助けようとしているわけじゃない。神様はもっと大きなもののために、言い換えれば自分のために、必要に応じて人を殺したり増やしたりして都合に合わせて調整をしている。私たちが尊んでいる私たち自身の命なんて、神様にかかればそんなもんだ。結局人間は、ないものねだりで神様の不利をしたがるのかもしれない。どうしたって神様自身には愛されないから。


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