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「小さな王子様」 [reading]

*** プロローグ ***

 星の王子さまミュージアムに行った記念に買った本。ミュージアムショップにはバオバブの木がなる鉢とかもあって、あのでかさに憧れはしたけれど、本当にあんなにでかくなられても困るので、それはあきらめた。

 星の王子さまミュージアム、意外にいいところだった。特に週末なのに人のいないのにはかなり好印象を覚えた。行く前からミュージアム自体はかなり小ぶりだろうと予想はしていて、実際行ってみたら間口は小さかったし、作られた街並みもかなりコンパクトなんだけれど、でもミュージアムとしては意外に見ごたえあったな。たまたまスタンプラリーなんかやっててくれたおかげで、思いがけなく館内をきれいに回れてしまったのもよかった。賞品はミュージアムの缶バッジだった。
 ミュージアム内の街並みは絵本の印象がかなり忠実に再現されてて感心した。あの小ぶりなつくりは意図的なんだろうなと思うんだけど、あのコンパクトな空間に家族連れとかがひしめいていたら印象はもっと違うものになってしまっていただろうなと思うと、人のいない日にあそこを訪れたことを幸運に思った。でも、今から思うと家族客ってそんなにいなかったように思う。カップルとか女の人ばっかりだったな。

 最初、その場に行くまでは絵本を買って帰るつもりはまるでなかったんだ。ミュージアムで絵本の要素やら、それを裏付けるサン・テグジュペリの半生やらを知るにつけて、これは読んでみるかと思えるようになった。せっかくその人を知ったわけだから。それまでサン・テグジュペリで知っているといえば、同じ郵便配達の飛行機に乗っている友達が雪山に落っこちた時の手紙の話だけで、個人の成り立ちまでは知らなかった。けど、その雪山遭難の話で感じた冷涼とした孤独感はあの作品特有のものではなくてサン・テグジュペリ自身に付きまとうものだったんだなと今は思う。文面では気分の高揚があったり、友情があったり、自然に対する敬意や感動が書かれているんだけれど、でもちょっと触るとそこはヒヤッとしている感じ。感動や友情で燃えているのは彼の中だけで、その外側や周りの空気は冴え冴えとしている。書いてることと、そこから感じ取れる印象とがこんなにちぐはぐな人は他にいないかも。

 この人は恋人を求めている傍らで、孤独も愛してしまっていたのではないかなと、そんな気がした。愛は束縛するし、自由とはすなわち孤独だから。自分に素直に生きようとするから逆に苦しくなることもある。サン・テグジュペリは意外にも超アンビバレントな人だったのかもね。

***

 「小さな王子さま」は主人公こそ子供だし、挿絵があって絵本の体裁をしているからおとぎ話だろうという先入観があったけれど、実際読んでみると子供の話という印象はまるでしなかった。むしろ、サン・テグジュペリ自身の人生の罪とか後悔とか悲しみを「王子さま」という子供の化身のその純粋さに背負わせてる感じがした。これはサン・テグジュペリの贖罪というか、反省文というか。とにかく私が予想したようなおとぎ話ではまったくなかった。なんの隠喩もなく、保留もなく、ただ直球的に現実的な話だった。子供が主役というだけのファンタジーのフィルタは、そこに転がっている社会とサン・テグジュペリの彼にまつわるあくまで限定的な悲しみと孤独に溢れた人生をくっきりと浮き立たせるコントラストの役目意外に他ならない。

 この作品にはそのタイトルと体裁とは裏腹に孤独と悲しみで全体が覆われている。その雰囲気ににちょっと嫌気がさすくらいだ。この何処まで行っても拭えないunhappyな感じに。大体、登場人物の誰にも繋がりがない。一つの星に一人の人間。それぞれがみんな個別で、よその世界を知らない。この閉塞感。地球に落ちてきても砂漠の真ん中で誰もいない。友達になりたいというキツネともつかの間の友情を約束するだけ。最後には「私」も置いて王子さまは自分の星に帰る。今ではもうバラも咲かない小さな星に。
 最後まで自分のことしか考えていない王子さまは子供らしいといえば子供らしいけれど、どんなときも王子さまの心を捉えているのは一輪のバラだ。結局バラのこと以外王子さまには関心がなかった。

 バラはやはり恋人のことだった。かなり率直な喩えだ。つまり物語の焦点をバラに絞るとこう言える。とても美しくてりっぱなバラだけれど、世話に手間はかかるし、口うるさいし、正直これと一緒に暮らすのはしんどいので、思わずそこを飛び出したが、よそのバラを見るにつけ、自分がかつて懸命に世話をし一緒に暮らしていたバラがどれだけ類稀なる美の持ち主で、自分にとって大事なものであったかということに気が付く。しかし、その時には既にバラも枯れてしまい二度と同じものを取り戻すことは出来ない。それでもバラに心惹かれる王子さまは昇天することで星に、かつてバラと暮らした場所に戻っていく。

 これにうわばみの話が絡むから惑わされるけど、話を要約すればそうなると思う。冒頭で幼年期の純真さにいかがわしい程の賛美を与えるのは主人公が王子さまなのと、現実にある大人のしがらみ、というか自分しがらみの印象を除きたかったからだろう。おそらく、子供に語らせることによっていろんなことから逃避してるんだろうと思う。端的に言うと責任とかね。あと、身勝手な態度も子供というだけで正当化出来るし。
 読み終わっての印象は、『これ、子供が聞いて楽しいかしらねえ』というものだった。そもそも楽しい感じのまったくしない話しだし。

 でも、サン・テグジュペリの挿絵は素敵。想像以上だった。ミュージアムでも原画を食い入るように見てしまった。あんなに色彩豊かに個性的にキャラが描けてるのが意外だった。サン・テグジュペリって絵の才能があったのね。なんかもったいない。だから挿絵のうちの1/3くらいはモノクロなのが残念だった。
 あと、王子さまや登場人物に関する細かな描写がかわいらしかった。これがファンタジー仕立ての絵本であるという体裁をかろうじて支えている要素だ。結局これらのこんぺいとうみたいに細々とした素敵な物の描写は、ファンタジーという逃避先への憧憬のなせる業なんだろうなと思う。誰だってファンタジーを書くとなれば、その人の考えうる素敵なものを可能な限り詰め込むと思う。人一人立っているのがやっとのサイズの星に、ミニチュアの火山と、無節操に大きくなるバオバブの木。朝が来たら火山で目玉焼きを焼いて、夕日を見たくなったらちょっと椅子をずらす。砂漠の井戸と、バラが咲き乱れる庭。素敵なものがいっぱい。けど、そんなにカラフルでかわいらしいこんぺいとうをちょっと掻き分けると、そこには硬くてなんの色気も、味も素っ気もない、ただの現実という下地にぶつかる。

 物語の本質的なところは好きになれなかったけど、装飾的な細かな部分は本当にかわいらしくて素敵だった。

*** エピローグ ***

 実は星の王子さまミュージアムに行ったのはうわばみのぬいぐるみを買うことが目的だったんだけれど、もういい大人なので大きなぬいぐるみは涙を飲んで我慢した。
 キーホルダーサイズのうわばみでもちゃんと中にゾウが入っててしっかりしたつくりだけれど、如何せんその小ささに人知れず悲しんでいたらなんとキツネがついてきた。なんて幸運。

 この二匹(三匹なのかな)が寄り添っている姿を観ると、いつも表情が緩んでしまう。お前たちはいつまでも仲良くね。

小さな王子さま
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