SSブログ

「蹴りたい背中」 [reading]

 思ったより楽しめたのが意外だった。けど、最初の印象は、やっぱり『こりゃ文章と言うよりメールだな』ということ。文学的な表現をちりばめてはあるけれど、高校一年生の一人称で進むこの話は文学的とは言うよりも、単に感傷的って感じだな。感傷的なのはこの年代の特権じゃん?読んでてちょっと自分の日記思い出しちゃったよ。ポエティックな感じはするかもね。後書きで女の人も「音感的」と評していた。

 終わり方もいかにも芥川賞が好みそうな感じだった。「蛇を踏む」とかもそうだったよね。結局落ちがないみたいな、「そこでこの話が終わっちゃったらこのドラマはどうなるの???」みたいなね。ハルキもよくそう言うのを書いていたので、私はそれをさして「読者置いてけぼりエンディング」と言っていたけど、先の二つみたいなのはハルキのとは趣向が違うし、程度としてはもっとひどい。ハルキのは一応の決着みたいのがあって、エンディングに余韻を持たせるような趣の置いてき方なんだけど、先の二つはドラマはオチとか決着とかそういうテーマとは無縁だ。つまり、表層的なことだけを綴っているようなもんで、物語と自分の距離感は最後まで詰まらない。まあ、「蹴りたい」は自分の日記を思い出したくらいだから、まるで共感できなかったって訳じゃない。「今時の」なんて評したって、実際のところ、私のときと、もしくは後書きを書いた女の人の少女時代となんら変わるところはないはずだ。変わったように見えるのは、その表面上の問題なんだよ。表面的なことに気をとられすぎなんじゃない?それこそ、高校生活という体裁を取り繕うのに必死になってる「絹代」みたいに。テーマはいつだってそこにあるんだよ。普遍的なものとして。人間の本質なんて変わんないんだから。ましてや日本人の集団意識なんて。
 だから、これで芥川賞が獲れるだなんて日本人の書く文学ってこんなもんかと驚いてしまう。中学生かよ。自分の日記を切り広げただけみたいな作品が他のあまたのノミネートに敵わなかったなんて。日本人の物書きの程度が低いんだか、選考員が悪趣味なんだか。

 いい文章を書く素質は持ってると思う。けど、「話」を書く才能があるかどうかはちょっとこれ読んだ限りだと私には見えない。この自分の日記を切り抜いたみたいな、エッセイみたいな域を超えない限り、本当に話を書く作家としての才能があるかどうかは分らないな。
 しかし、芥川賞って選考基準が甘いなぁ。こんなんで賞あげちゃっていいんだろうか。っていうか、意味あるのかな。日本ファンタジーノベルとかの方がよっぽど力があってストーリーテリングがあって、芥川っぽいけどなぁ。

 まあ、なんでもそうだけど、十人十色とか言う中で、1つの同じ価値を見出すって大変だよねえ。

蹴りたい背中


nice!(0) 
共通テーマ:

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。