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「ギフト」 [reading]

 急にまともな話に戻っていて意外だった。ゲドの最後の4巻目以降のノリからは想像するとかなり心配だったんだけど。

 雰囲気としてはゲドの1巻目に似てるんだけど、書いてる内容は、そして多分こ作品で描こうとしている内容自体はゲドの後半3巻で試みたことと同じなんだと思う。つまり、「ギフト」はゲドシリーズの後半で表現しようと試みて失敗してしまったテーマを、うまく前半の3巻までの世界観を失わずに融合さることに成功していると思う。しっかりしたプロットと、それを支える世界観。今回は大丈夫なのが読み始めてすぐに分った。だから安心して読み進められたし、実際ストーリーをじっくり楽しめた。
 じっくり楽しめる。そんな落ち着きというか、どっしりとした貫禄がこの作品の印象かな。

 人間の愛憎とか、美醜、ゲドの後半で表現に試行錯誤した世の中の理不尽や不条理をうまく混ぜ合わせて世界を作って、しかもドラマチックに描けている。
 人間は本当に本当に些細なことで諍いを起こして、後戻りできないほどの不幸に突き進んでしまうおろかな生き物だと言うことを改めて認識させられる。けれど、その行動心理がただ単に自らの子孫を未来につなげると言う、これまた生き物としてのなんとも単純な本能にしたがっているだけだと言う純粋さも否定できない。美しさとその儚さが混然とする絶妙な作品だったと思う。

 古風でキュウキュウとした暮らしをしてて、生き延びるため以外の知識を大して持たない人々が、小さな集団に分かれてお互いに触れ合うことを怖がりながら暮らしてる。その様子が奇妙だった。こんな状態は誰にとっても得するところなんかないのに。和平を結ぶと言うオプションは彼らの中にはない。平和とかそう言う意味合い自体が彼らの存在の中になかったような気がする。もっと互いの利益を求めて協調したり、尊重しあったりしてもよさそうなのに、無学ゆえなのかなんなのか、どうせバレるのに他人の物を盗むとか、どうせ仕返しされるのに自分の気に入らない奴は殺すとか、そういう短絡的な行動に出て、結局みんなして不幸を舐めあっている。よく分らない。何でこんなことを?
 それともこれがグウィンの伝えたかったことか。ただでさえ貧しいのにあるかなきかの利益をみんなして奪い合っていると。みんなでハッピーになれる方法が他にいくらでも考えられるのにと。
 だからこのお話は決してハッピーエンドじゃない。どころか、誰も幸せなになれない。そんな悲しいお話だったように思う。確かに物語の最後でオレックとグライが連れ立って旅立つ姿に希望を託せなくもないかも知れないけれど、私はそう言うふうには見えなかった。むしろ苦境の中に自ら突き進んでいく痛々しい姿に映った。低地の人間に恐れられている高地の彼らが低地に移住して、「幸せに暮らしましたとさ」と言う風になれっこないのは誰だってわかる。にもかかわらず、ブランターの息子として生まれつきながらギフトに恵まれなかったオレックは既にその資質が不幸だし、反対にグライはその能力ゆえに低地は蔑まされることは目に見えている。誰も幸せにならない。みんなが不幸を分け合っている。だけどその不幸はみんな彼らが作り出したものだ。なんだかその様子が、不幸の連鎖というか、不幸が継承されていくように見えた。あれだけ従順で勤労な人たちだから、自分たちの幸せのためならいくらでも努力できるんだけど、悲しいかな彼らのその努力はあまりにも方向違いだ。

 この話で一番気になったのは、人がポンポン殺されていくところ。あまりにも簡単に、あまりにも些細なことで、その人にたった一つしかない命が奪われてしまう。その様子は実に理不尽だ。「剣客商売」を読んでるときにもあまりにもばっさばっさ切るんで驚いたけど、それとはまた違う。「剣客商売」はあくまでも勧善懲悪の前提に立って人を切っている。だけど、「ギフト」ではそんな倫理観とは関係なしに、ただ自分の欲望のために、乱暴に言うなら気まぐれで人を殺してしまって、そこに罪悪感とかはまるでない。後悔とか。ためらいすらない。脅かすために2~3人殺しておくかと言うノリで。ここに出てくる人たちは銀行強盗や、悪事に生きてる人じゃない。むしろ牧畜と農耕でしか生き方を知らない純朴な人たちだ。その人たちが、お嫁さんほしさによその土地に出かけて行って突然そこの人たちをパパッと殺すその様子に心配を覚えた。これを子供が読んだらどう思うかしらと思って。

 それでも、私はこの一日中日陰の中みたいな、晴れた日がないみたいな話が好きだった。陰鬱とさえ言ってもいいかもしれない。だって誰も幸せじゃないんだから。幸せじゃないって言うのは語弊があるかもしれない。恵まれてないってことだと思う。環境や暮らしには恵まれていない。だけど、お互いのいることに、愛する人のそばにいることに幸せを見出している。そういう最低限の、だけど人としてファンダメンタルな幸福だけで彼らは生きていて、そしてそれでちゃんとおなかいっぱいって感じがしてくる。もちろん、実際には飢え死にしそうなほど貧しいんだけどね。だから本当にくらーいくらーい話だった。だけど、そんな暗くて厳しい、厳しいって言うか、理不尽な現実に向き合わざるを得ない彼らの生活のこの話がとても好ましかった。
 いくつか自分の経験に重ねられるエピソードがあったりしたのも理由かもしれない。オレックのお母さんがオッゲに呪いを掛けられて、だんだんと衰弱していって、最後にはベッドから起き上がることも出来なくなって、ある日お父さんが抱き上げようとするとお母さんは突然すごい悲鳴をあげる。抱き上げられると骨が折れてしまうくらい衰弱が進んでいたというエピソードだ。お父さんはそれにショックを受けて泣いてしまう。私はそれに、ジョディーの体温を測ろうとしてひどい悲鳴を上げられてしまったことを思い出した。私もそれに驚いて泣いちゃったっけと。今なら分る。どんなに病人に気遣って大丈夫なふりしてたって、内心びくびくなんだってこと。死んでしまうことを怖がっているのは死ぬほうじゃなく、死なれてしまう方なんだってこと。私にはオレックのお父さんの気持ちが痛いほどよく分った。
 あと、グライのお母さんのパーンが好きだったな。この人は現実主義って言うか、実用主義って言うか、そこがちょっと周りと違ってて浮いちゃってるんだけど、そこが逆に好感が持てた。家族の愛情だけが生きる支えみたいなこの土地で、なぜかこの人だけは「愛なんかでおなかいっぱいにはならない」みたいな精神を貫いている姿勢が好きだった。実際、この人の才能は他の人と違って実用的で、その価値はすぐにお金に直結してる。だから、それを使わないのは怠慢だと娘を叱るんだけど、自分の力で稼いでいくことの大切さを理解できていないグライにはそれが通じなくて、パーンは歯がゆい思いをする。多分この人には愛とか恋とかって通じないんだろうなと思った。そういうパーンの考え方はとても男っぽい。才能に恵まれていて、経済的にも家族の大黒柱はどう見たって母親であるパーンのほうだ。夫も違う才能のブランターだけど、彼の方が奥ゆかしくて愛情豊かだ。それに、パーンは常に血筋のことを考えてる。自分の種族と言うことについての執着にかけては夫より強かった。それは結局才能のせいなのかもしれない。パーンは血統を絶やさないため、家族を飢えさせないための結婚をグライに勧める。グライの興味が幼い時からオレックにあるって分っててだ。だもんで、この母子はことあるごとにぶつかっている。その様子はオレックとカノックの関係に似ている。何かを継承する関係にあるときは皆似たような状況になるのかもしれない。それにしても女性にしては独立精神が旺盛で主人然としたパーンが私は好きだった。

 「ゲド」のシリーズ後半からの印象ではあまり期待出来る心境ではなかったんだけど、これはかなり面白い物語だった。これも3部作になるらしいんだけど、これだったら続きを、3部までなら、読んでもいいかなと思える作品だった。

ギフト


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