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「はじめての文学 村上春樹」 [reading]

 ハルキのレビュー書くのも初めてだけど、短編の感想を書くのも初めてだな。
 本当はこの本騙されて買っちゃったんだよね。私、ここに収められているのはみんな書き下ろしだと思ってたら、殆ど読んだことのあるものだった。最悪。Amazonめ。でも、今回に限らず、ハルキの短編集では度々こんな目にあっている。多分、誰彼がこぞって編集しまくっているからだろう。

 「シドニーのグリーンストリート」
 これは結構好き。最初タイトルを読んだ時の印象はよくなかったんだけど、読んでみたら結構気に入った話。女の子の名前が「ちゃーりー」って言うのも気に入ってる。なんで「ちゃーりー」って括弧付きでひらがななのかは分らないけど。でも、ちゃんとストーリーになってて好きなんだな。かなり突拍子もない展開だし、話の筋には無理があるけど。なぜか違和感を感じさせないエンディングがハルキのなせる業か。

 「カンガルー日和」
 この話は好きじゃない。

 「鏡」
 「とんがり焼きの盛衰」
 「かいつぶり」
 この3つは初めて読んだけど、大して惹かれなかった。なんだか強引な感じがして嫌だった。

 「踊る小人」
 これはちょっと微妙だな。好きでもあるし、嫌いでもあるっていうか。言うなれば、嫌なんだけど、癖になっちゃうみたいな感じ。印象としてはハルキの初期的な匂いが強くする作品。ハルキの表現て、かなり婉曲的だと思うんだけど、この作品はめずらしく直接表現をしているのに気が付く。小人のキャラクターが好きだな。情熱的なんだけど、魔性の権化でもあるみたいなね。

 「鉛筆削り」
 「タイムマシーン」
 これは同じプロットの中身違いみたいな作品。お遊びで書いたみたいな印象が残る。

 「ドーナッツ化」
 「ことわざ」
 「牛乳」
 「インド屋さん」
 「もしょもしょ」
 「真っ赤な芥子」
 この辺は星新一みたいな感じのするショートショートが続くんだけど、なかでも「ドーナッツ化」なんかはシュールで好きだった。
 「牛乳」は牛乳屋が一人称でしゃべってる話なんだけど、その男の異様さは「ねじまき鳥」の牛河を思い出させた。一方的で執拗な思い込み。本人はいくらでも自分の考えを正当化してみせるんだけど、そうされればされるほどこっちはその異様さにたじろいでしまう。ハルキはこういう人を書くの得意なんだなとこの時初めて分った。だからオウムの事件に興味を惹かれたんじゃなかろうか。
 「インド屋さん」はかわいらしい話で好きだった。インド売りが「インドが足りないんですよ」と言うに到ってはぎょっとしたよ。ここにもそんな言い方をする人がいたよと思ってびっくりした。私自身、「ガンダムが足りない!」って言われたことがあって。「ガンダムが足りない」と「インドが足りない」は用法的に同じだよねえ。きっと。でも、「ガンダムが足りない」って?「インドが足りない」って???これはその?が世界になって書かれていた。
 「真っ赤な芥子」もかわいらしい話。エロなしグロナンセンスものって感じの。80年代らしい不条理話だった。こういうの子供の目にはどう映るのかな。

 「緑色の獣」
 この話あんまり好きじゃないんだよな。ハルキは私に好印象を与える女性を描かない。なぜなんだろう。ハルキの描く女性を素敵と思ったことないんだよな。性格がひねてて、皆不健康なんだもん。
 
 「沈黙」
 本人が書いた後書きを読んでかなり初版から手を入れたことを知った。なるほど、そう言えば私の記憶していた場面がなかったりするかもしれない。尺的にもちょっと短い気がする。この話はハルキ自身の体験を反映しているらしい。いじめの話だ。それをどうやって乗り越えたか。それがどう今にも影響を与えているかを書いている。だからこそ、今同じような境遇にあっている人に読んで欲しいとハルキは言っているのだろう。私自身の経験とは重なる部分がないのか、あまり響くところはないんだけどね。それにこの話は重くて苦手。結局、読みながら主人公と同じ経験をしているのかもしれない。それは一人称に原因があるんじゃないかなと思う。話してる主人公の感情に巻き込まれてるのかも。作者の狙った効果を出せているわけだからかなり作品としては成功していると言わざるを得ないだろうけど、読むほうは大変。疲れちゃうんだもん。

 「かえるくん、東京を救う」
 これは初めて読んだ。ハルキを薦められた人にハルキってどんな話を描くのかって聞いたら、確か「普通の人に起きるファンタジー」みたいなことを言ったと記憶してるんだけど、それを思い出させる作品だった。私のハルキのファンタジーを気に入っている理由は、それの起きる範囲がとても狭いということ。世界全体がファンタジーなんじゃない。それが起きる人は決まっていて、そのファンタジーは共有できるものじゃない。それを誰かに話したところで分ってくれる人はいない。そこが好き。そうすると、世界のなにが本当でなにが嘘かってことが曖昧になるよね。そのメッセージ性が私は好きでハルキを読んでいるんだろうなと思う。

 いずれにしても、「カフカ」以降、腕を揮わないハルキがいつまでこんなことでお茶を濁しているつもりなのかという考えがどうしても湧いてきてしまう、新たな機会だった。

はじめての文学 村上春樹


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「ギフト」 [reading]

 急にまともな話に戻っていて意外だった。ゲドの最後の4巻目以降のノリからは想像するとかなり心配だったんだけど。

 雰囲気としてはゲドの1巻目に似てるんだけど、書いてる内容は、そして多分こ作品で描こうとしている内容自体はゲドの後半3巻で試みたことと同じなんだと思う。つまり、「ギフト」はゲドシリーズの後半で表現しようと試みて失敗してしまったテーマを、うまく前半の3巻までの世界観を失わずに融合さることに成功していると思う。しっかりしたプロットと、それを支える世界観。今回は大丈夫なのが読み始めてすぐに分った。だから安心して読み進められたし、実際ストーリーをじっくり楽しめた。
 じっくり楽しめる。そんな落ち着きというか、どっしりとした貫禄がこの作品の印象かな。

 人間の愛憎とか、美醜、ゲドの後半で表現に試行錯誤した世の中の理不尽や不条理をうまく混ぜ合わせて世界を作って、しかもドラマチックに描けている。
 人間は本当に本当に些細なことで諍いを起こして、後戻りできないほどの不幸に突き進んでしまうおろかな生き物だと言うことを改めて認識させられる。けれど、その行動心理がただ単に自らの子孫を未来につなげると言う、これまた生き物としてのなんとも単純な本能にしたがっているだけだと言う純粋さも否定できない。美しさとその儚さが混然とする絶妙な作品だったと思う。

 古風でキュウキュウとした暮らしをしてて、生き延びるため以外の知識を大して持たない人々が、小さな集団に分かれてお互いに触れ合うことを怖がりながら暮らしてる。その様子が奇妙だった。こんな状態は誰にとっても得するところなんかないのに。和平を結ぶと言うオプションは彼らの中にはない。平和とかそう言う意味合い自体が彼らの存在の中になかったような気がする。もっと互いの利益を求めて協調したり、尊重しあったりしてもよさそうなのに、無学ゆえなのかなんなのか、どうせバレるのに他人の物を盗むとか、どうせ仕返しされるのに自分の気に入らない奴は殺すとか、そういう短絡的な行動に出て、結局みんなして不幸を舐めあっている。よく分らない。何でこんなことを?
 それともこれがグウィンの伝えたかったことか。ただでさえ貧しいのにあるかなきかの利益をみんなして奪い合っていると。みんなでハッピーになれる方法が他にいくらでも考えられるのにと。
 だからこのお話は決してハッピーエンドじゃない。どころか、誰も幸せなになれない。そんな悲しいお話だったように思う。確かに物語の最後でオレックとグライが連れ立って旅立つ姿に希望を託せなくもないかも知れないけれど、私はそう言うふうには見えなかった。むしろ苦境の中に自ら突き進んでいく痛々しい姿に映った。低地の人間に恐れられている高地の彼らが低地に移住して、「幸せに暮らしましたとさ」と言う風になれっこないのは誰だってわかる。にもかかわらず、ブランターの息子として生まれつきながらギフトに恵まれなかったオレックは既にその資質が不幸だし、反対にグライはその能力ゆえに低地は蔑まされることは目に見えている。誰も幸せにならない。みんなが不幸を分け合っている。だけどその不幸はみんな彼らが作り出したものだ。なんだかその様子が、不幸の連鎖というか、不幸が継承されていくように見えた。あれだけ従順で勤労な人たちだから、自分たちの幸せのためならいくらでも努力できるんだけど、悲しいかな彼らのその努力はあまりにも方向違いだ。

 この話で一番気になったのは、人がポンポン殺されていくところ。あまりにも簡単に、あまりにも些細なことで、その人にたった一つしかない命が奪われてしまう。その様子は実に理不尽だ。「剣客商売」を読んでるときにもあまりにもばっさばっさ切るんで驚いたけど、それとはまた違う。「剣客商売」はあくまでも勧善懲悪の前提に立って人を切っている。だけど、「ギフト」ではそんな倫理観とは関係なしに、ただ自分の欲望のために、乱暴に言うなら気まぐれで人を殺してしまって、そこに罪悪感とかはまるでない。後悔とか。ためらいすらない。脅かすために2~3人殺しておくかと言うノリで。ここに出てくる人たちは銀行強盗や、悪事に生きてる人じゃない。むしろ牧畜と農耕でしか生き方を知らない純朴な人たちだ。その人たちが、お嫁さんほしさによその土地に出かけて行って突然そこの人たちをパパッと殺すその様子に心配を覚えた。これを子供が読んだらどう思うかしらと思って。

 それでも、私はこの一日中日陰の中みたいな、晴れた日がないみたいな話が好きだった。陰鬱とさえ言ってもいいかもしれない。だって誰も幸せじゃないんだから。幸せじゃないって言うのは語弊があるかもしれない。恵まれてないってことだと思う。環境や暮らしには恵まれていない。だけど、お互いのいることに、愛する人のそばにいることに幸せを見出している。そういう最低限の、だけど人としてファンダメンタルな幸福だけで彼らは生きていて、そしてそれでちゃんとおなかいっぱいって感じがしてくる。もちろん、実際には飢え死にしそうなほど貧しいんだけどね。だから本当にくらーいくらーい話だった。だけど、そんな暗くて厳しい、厳しいって言うか、理不尽な現実に向き合わざるを得ない彼らの生活のこの話がとても好ましかった。
 いくつか自分の経験に重ねられるエピソードがあったりしたのも理由かもしれない。オレックのお母さんがオッゲに呪いを掛けられて、だんだんと衰弱していって、最後にはベッドから起き上がることも出来なくなって、ある日お父さんが抱き上げようとするとお母さんは突然すごい悲鳴をあげる。抱き上げられると骨が折れてしまうくらい衰弱が進んでいたというエピソードだ。お父さんはそれにショックを受けて泣いてしまう。私はそれに、ジョディーの体温を測ろうとしてひどい悲鳴を上げられてしまったことを思い出した。私もそれに驚いて泣いちゃったっけと。今なら分る。どんなに病人に気遣って大丈夫なふりしてたって、内心びくびくなんだってこと。死んでしまうことを怖がっているのは死ぬほうじゃなく、死なれてしまう方なんだってこと。私にはオレックのお父さんの気持ちが痛いほどよく分った。
 あと、グライのお母さんのパーンが好きだったな。この人は現実主義って言うか、実用主義って言うか、そこがちょっと周りと違ってて浮いちゃってるんだけど、そこが逆に好感が持てた。家族の愛情だけが生きる支えみたいなこの土地で、なぜかこの人だけは「愛なんかでおなかいっぱいにはならない」みたいな精神を貫いている姿勢が好きだった。実際、この人の才能は他の人と違って実用的で、その価値はすぐにお金に直結してる。だから、それを使わないのは怠慢だと娘を叱るんだけど、自分の力で稼いでいくことの大切さを理解できていないグライにはそれが通じなくて、パーンは歯がゆい思いをする。多分この人には愛とか恋とかって通じないんだろうなと思った。そういうパーンの考え方はとても男っぽい。才能に恵まれていて、経済的にも家族の大黒柱はどう見たって母親であるパーンのほうだ。夫も違う才能のブランターだけど、彼の方が奥ゆかしくて愛情豊かだ。それに、パーンは常に血筋のことを考えてる。自分の種族と言うことについての執着にかけては夫より強かった。それは結局才能のせいなのかもしれない。パーンは血統を絶やさないため、家族を飢えさせないための結婚をグライに勧める。グライの興味が幼い時からオレックにあるって分っててだ。だもんで、この母子はことあるごとにぶつかっている。その様子はオレックとカノックの関係に似ている。何かを継承する関係にあるときは皆似たような状況になるのかもしれない。それにしても女性にしては独立精神が旺盛で主人然としたパーンが私は好きだった。

 「ゲド」のシリーズ後半からの印象ではあまり期待出来る心境ではなかったんだけど、これはかなり面白い物語だった。これも3部作になるらしいんだけど、これだったら続きを、3部までなら、読んでもいいかなと思える作品だった。

ギフト


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「剣客商売十二 十番斬り」 [reading]

 意外と面白かった。こういうのはダメかと思っていたんだけれど、結構楽しめた。小さいときおじいちゃんの付き合いでよく時代劇は見たけど、面白いと思ったことなかったんでどうかなと思ってた。ああ、でもそう言えば、「必殺仕事人」だけは家族で気に入って観てたな。あと、「影の軍団」とか。子供ながらに勧善懲悪でないところがよかったのかもしれないね。東山の金さんとか、大岡越前とか、銭形平次とか、水戸黄門とか、大分観たけど面白いと思ったことはなかったなぁ。ただ、大岡越前はあのサラリーマン然とした社会機構と淡々とした正義感みたいなのが好きだったな。大岡越前と小石川の先生なんて言ったっけ、あれがさ、すごい地味でしょ?絶対興奮したり感情的になったりしないの。なってもさ、ポーズだけなの。あの淡々とした感じが好きではあったけど。

 池波正太郎は、日本人の作家はつまらないから読まないと言ってはばからない私にある人が薦めてくれた。この本はその人との待ち合わせの間に本屋さんで選んだ。あと、司馬遼太郎も薦められてて一緒に見てたんだけど、司馬遼太郎はなっがいのなんのって。文庫であんなに厚くって上・中・下とかになってるとさすがに読む気がしなかったのでやめた。そもそも私は忍者の話とかに興味がないんだなとも思う。

 私のイメージする時代劇は、ワンパターンの勧善懲悪ものだったんだけど、実際これが中世ヨーロッパみたいにセックス&バイオレンスで驚いた。すごい。すごいよ。大体主人公が70目前のおじいさんなのに、その奥さんが自分の息子と一緒に育った自分の娘も同然の子だった。すげー。なんだこの倫理観。でもきっとそういうのって戦後ぐらいまではあったんだろなと思う。お母さんの友達も16で40だか60だかのおじいさんに嫁いだとかって聞いたし。ただね、この中に出てくるエピソードではこの平均的な親子以上に歳の離れた二人の間に夫婦愛みたいなのは感じられなかったな。確かにおはるをかわいがっているのかもしれないけど、動物をかわいがる以上の愛情がそこにあるのかなっていう感じだった。だから、なんていうか、恋女房とかっていうわけじゃないってことよ。必要だからそこにいるみたいな。それはおはるも同じように思った。

 さっきも言ったけど、この小説の中に見える生活はかなり生々しい。というか生臭い。人の心の後ろ暗さというか、欲望に駆られたときの醜さみたいなのが多くちりばめられていた。姦通を果たすという目的のためだけによそのうちの奥さんの名前を騙る人妻とか、主人公の再婚を責めて縁を切った前妻の弟が急に手のひらを返したように主人公との復縁を快く迎えたのは、結局自分も外に家族を囲ったためだったりとか。ただ、池波正太郎という人の描写がかなり大雑把と言うか、大胆なので、その生臭さに顔を歪めずにすんでいる。大雑把と言うと荒削りとか、雑ってイメージだけど、そうじゃなくて、なんてい言ったらいいのかな。えーと、すごいさばさばしてるのよ。感情をそぎ落としてるって言うか。感情はみんな台詞の中にあると思えるくらい、つなぎは淡々としている。そして美文でないというわけでもない。
 「そして、爽涼たる朝が来た」
 なんて、この一言だけにどれ程美しい情景が含まれていることか。とにかく、竹を割ったような表現で貫かれていて、曖昧だとか言うことは一切なかった。そして、人を切るときも竹を割るように腕が飛び、脚が飛び、血が飛んでかなりのスプラッターだった。しかしほんの少しの動揺もない。描写としてなんのためらいもない。今時の話だったらそれがどんだけ大変なことか大騒ぎして描写して見せるとこだけど、「腕が飛んだ」、「脚が落ちた」と言うだけで、その様子の壮絶さは完全に読者の想像力に委ねられている。おびただしい返り血を浴びたであろう「汚れた着物」や、刀から血をぬぐう姿から想像するしかない。まったくなんて時代なんだ。

 私がこの本を選んだのは、これが全体的に短いと言うのもあったんだけど、オムニバスだからと言うこともあった。
 私が気に入ったのは最後のエピソードで、これは「剣客商売」シリーズの先の方にあった話と繋がりがあるとかで、もともとはそっちからのキャラだった。1,500石の旗本が刀の試し切りをしたくて辛抱堪らず辻斬りなんぞをしてしまうんだけど、すごいのはそっからで、その旗本は人を斬ることに愉悦を見出してしまったのね。で、そんなことを重ねていてばれないわけがない。とうとう現場を秋山小兵衛に抑えられて、旗本は切腹。お家は断絶。妻はショックで病死。一人息子は母方の親戚に預けられるけど、事情が事情名だけに邪険にされておしんか家なき子かと言った体の幼少期を過ごす。けれど、幸運にもかわいがってくれる弓の達人に出会い、暗い過去を否応なしに背負わされてしまった少年はそれでも素直にまっすぐに成長していく。ドラマだ…。私はこの青年が好きだった。
 驚いたことにいくら狂気じみたことをしでかしたとはいえ、父親を追い詰め、家を絶えさせられ、母親を失ったのに、この青年は秋山に対して気味の悪いくらい誠実だった。どこをどうしたらこんなに出来のいい人間になるんだかと思ったけど、私が感心したのはそこじゃなかった。青年は、周りの誰もがブスだという女性を愛していた。ハンパなブスではない。誰が見てもそれはありえないというくらいの器量の悪さらしいにもかかわらずだ。彼は今までセレブの中で生活していたわけだから、美しい女の人を見たことがないわけではないだろうに、彼が選んだのは貧しい農家の後家さんだった。ただ、この後家さんも後家さんで夜這いに行ったのは彼女の方からだったけど、でも、毎日でも彼女を求めて通ってこようとする青年を彼女は
 「たのしみは、むさぼるものではありませんよ」
 と言って窘めるだけの良識もあったりする。そこが意外だった。この青年が彼女のどこに惚れたのかこの時分ったような気がした。
 あまり感情を行間に滲ませない作家だと思っていたけれど、この青年の農家の後家さんに寄せる想いはぬくもりとして伝わってくるようで、私はこのブスいという後家さんがうらやましかった。周りの人は不似合いな夫婦だと思っている。けれど、当人たちの深い愛情を彼らが知る由もない。二人が他人には理解できない深い絆で結ばれていると言うことが私には小気味よかった。

 最後に、この文庫に解説を書いている人が、自分の妻や娘を捕まえて、「彼女たちと三冬やおはるのあいだには、天と地のひらきがある」とか言うのには、思わず『殺すぞお前』と毒づかずにはいられなかった。なんだその偏見は。私がこの人の奥さんだったら、「お前のためになんかもう飯は作らん」と言うね。せっかくここまで気持ちよく読んでたのに、この解説のおかげで読後感が台無しだと思った。
 明らかにこの時代の「男らしさ」とかその風情に憧れているようだが、この分じゃただの勘違いだな。形にばかり執着するのは悪いオタクの典型だ。中身が風情を作るんだよバーカ。

 で、池波正太郎を薦めてくれた人にこれを買ったんだと話したら、「それは面白くないのに。一番人気があるけど」と言われてしょんぼりした。


十番斬り


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「ゲド戦記外伝」 [reading]

 本編の設定に使った世界観を元に別のドラマを創り出すと言うのはよくある話で、今風に言うとspin outか。物語の出来方としては「スターウォーズ」のそれに似ている。で、これはエピソード1~3にあたる感じ。

 ただねー、やっぱり「なんだかなー」っていう感想しか残らなかった。「これどうしたいんだろうなー」みたいな。首捻っちゃう感じ。4巻目からこっちずっとそんなんだけど、5巻目とこの外伝は更にひどい。なんか混沌とし過ぎてて読むのが億劫だったし、もう苦痛に近かった。4巻目はまだしも、5巻目、外伝は「何が言いたい?」と思って悩んじゃったよ。今まで頑張ってきちんと読んでいたんだけど、ちょっとこればっかりは多少読み飛ばした。

 一応オムニバスと言うことになっているんだけど、カワウソの話がメインなんだと思う。あと、サービス的にゲドの出てくるエピソードもあった。おじさんおばさんのロマンスの回に。5巻目に出てくるアイリアンがロークを訪れたというエピソードもあるけど、やっぱりどことなく不愉快な感じがした。特に、これはどの4巻以降はどのエピソードでも同じなんだけど、異性間での性的な心象の描写が嫌だった。これはもともとそう言う表現なのか、それとも訳者の技量の問題なのかよく分らないけど、とにかくこの点に関してはなんでこんなに生々しい書き方をするのかが腑に落ちなかった。表現がお世辞にもロマンチックとは言えないんだよね。直接的っていうか、言葉悪くすると、生臭いっていうか、直接セックスを連想させるような書き方で、「なんでこんな書き方?」と常に疑問だった。
 だもんで、最後のこの話を読み終わったときはすごい達成感と開放感と安堵感を感じたよ。もうこれで読まなくていいんだと思って。

 最後の「アースシー解説」っていうのは事細かに、アースシーの文化について説いているんだけど、これはもう読まなかった。そこまで知ってなくていいでしょ…。なんでそこまで書く?

 はぁ。終わってよかった。

ゲド戦記別巻 ゲド戦記外伝


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