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「ゲド戦記V アースシーの風」 [reading]

 なんだろう。このとりとめのない話は。IVを読んだときにも思ったことだけど、改めて、『なぜこの続編を?』と思わずにはいられない話だった。どうしたかったんだろう。何を描きたかったんだろう。自分の晩年を思ってあの世を想像せずにはいられなかったのか。それにしても世界が混沌としすぎている。IIIで和平を取り戻したとしていたくせになんだかんだと自分で後からわざとらしいほころびを作り上げて続編を書いているように見える。その姿はル=グウィン自身がこの物語に未練があるかのようだ。

 これはIVでも顕著だったことなんだけど、問題が当事者の間でばっかりで納得されてて、読み手には全然具体的に説明してくれないんだよね。で、真意とは言わないまでも言わんとしていることが全く伝わってこないので、物語に置いていかれた感がすごく強い。『え、え、どういうこと?』とか思ってるうちに話はどんどん進んでしまう。なんか当事者同士で分ったようなこと言ってるけど何のこと?みたいな場面が何度も出てきた。そういうのはほぼ作者の独り言に等しい。どうしてゲドの続編をこんなに経ってから書こうと思ったんだろう。謎だ…。

 振り返ってみればこのゲドシリーズはいつも後出しジャンケンみたいなずるいドラマになっていた。IIでエルファーランの腕輪を取り戻せばまた世界を一つに出来るとしていたのが、IIIでは、いや世界を統べる王がいないと秩序は取り戻せないとアレンを出してくる。そしてこのVではその王を置いてさえ結局竜と人とのバランスが取れていないと、世界をみんなで「まったきもの」としようという壮大なテーマを持ち出してくる。きりがないよ。どれだけやっても満足しない。そういうことを言いたかったのかな。世界をよりより場所にするためには課題は尽きないってことを。「世界は今ようやくまったき物となった」って、そんなことずっと前から言い続けててシリーズの最後でこの混沌とした様はかなり印象が悪かった。
 私がまず思ったのは、too many men in the field。プレーヤーが多すぎる。ゲドにいまだかつてこんなに多くのキャラが登場してそれがみんないっぺんに動いたことなんてない。大体大筋でシンプルな話だったし。いろんなとこからいろんな人がそれぞれに自分の問題を抱えて出てきてなんか国連を髣髴とさせた。みんなが自分の主張を繰り広げるんで、その現場が収拾付かないことになっている様子すらも。これだけ利害の一致しない連中がアレンの一言で纏まるなんてちょっと眉唾だなとも思う。そして肝心のゲドは完全な外野だった。もうゲドなんていてもいなくても同じだった。それでもゲドの出てくる場面が一番安心して読めるのはやはり作者の思い入れがあるからだろうか。まったくこれのどこがゲド「戦記」なんだか。

 今回のキャラクターで一番イライラさせられたのはセセラクだった。排他的なところで育ったんだからこんなもんかと思わなくもないが、いかんせん頭悪そう。アレンがこれと結婚するならがっかりだなと思った。それに最初はアレンの治める国を指して、「こんな野蛮なところ!」みたいに言って自分から打ち解けるようなそぶりはおくびにも出さなかったのに、終盤でアレンが倒れるに到ってはどういう風の吹き回しか、「私の大切な人が!」とか言って泣き伏す始末。ええっ、あなたたちはそう言う関係だったけ?そうでなくても、傍目から見て、「誰であれ、あんな包みをくれたら、私だったら開けますがね。」と言われるようなこの人の存在にも嫌気が差した。早い話、この王女って慰み者じゃん。
 そんな訳で、私としてはアレンが個人的にも外交的な立場からもセセラクを受け入れられない気持ちはよく理解できたんだけど、テナーはそれを単純に親心からたしなめているように見えて、逆にそれが女は政治に疎いみたいな印象を受けた。それでいいのかル=グウィン。もう一つアレンでがっかりしたのは、安っぽいプレイボーイに成り下がっていたことだった。国王という立場から相手の申し出を断るのは品位に関わるとでも思っているらしくて、相手のいいところだけ掠め取っていくみたいなお付き合いの仕方には顔をしかめた。そのほうが失礼だっつーの。その気がないなら思わせぶりなことすんな。大体、テナーみたいのがいいって言うマザコンが、世間知らずなお姫様を嫁にするなんてうまく行くわけがないと思うのは私だけか。

 この物語の伝えたかったことは結局なんだったんだろう。結局何が解決したんだろう。死んだ人ってどこにいったの?竜の国に行ったの?人間に生まれついた竜が竜の国に戻るのはありなの?それでいいんだっけ?
 なんかまたその場しのぎな解決を見ただけじゃんじゃなかろうか。アレンは疲弊することだろう。自分の力で解決できない問題の多いことに。自分の立場と実際の解決能力との間に矛盾を感じるだろうね。結局起きることに翻弄されまくってやらなきゃいけないことを片っ端から処理しているだけだ。そこに自分はあるのかアレン。才能が人生を選ぶ。アレンはまさにそんな生き方を余儀なくされている人だ。アレンの本音はロークに移動する船上でのトスラとの会話に垣間見える。彼はこれまでになく卑屈になって現実から逃げ腰だ。分るけど。その方がリアリティあるけど。

 それにしても、この話に出てくるどのキャラにも共感できなかったなぁ。女の人たちは誰もみんな我が強くって頭が固くて話にならない。アイリアンなんかは自分が竜だってことにプライドが高すぎて、どんな人とでもぶつかり合う。テナーが若くなった感じだ。その一方でテナーはすっかり萎縮して見える。それでも覚悟していたことをやり遂げてゲドと二人っきりになれた様子はそれまでよりもよっぽどしっくりしてるみたいだった。この二人はもういいおじいさん、おばあさんなのにちっとも関係が歳をとらないのが傍目から見てうらやましいなと思った。
 IVでセックスという愛情表現を覚えたゲドは、愛ってものに対して、もしくは世の中の全体のありように対しての見方が変わってきてる。そもそもハンノキがゲドのところに来て相談したときは、ハンノキが死んだ妻に呼び寄せられるのは愛がどうとかこうとかって言ってたのに、終わってみればそんなのこれのどの辺に関係あるの?って感じだった。ゲドの意見は大筋で魔法使いたちが女性を知らないってのは世界を半分しか知らないみたいなもんだってことなんじゃないかと思うんだけど、アズバーの方が正しいって言うのはそう言うことだよねえ?でも、その辺の課題は物語の終焉に際しては完全に棚上げになっていた。ル=グウィンは愛をなんだって言いたいの?

 「アースシーの風」はゲド戦記中最もちまちました話だった。ストーリーに巻き込まれる世界は広いのに、現実に処理していかなければならないことに囚われててて、話が遅々として進まない。ファンタジーらしい大胆さとかがかけらもない。むしろこれは現実世界を語っているに近い。実生活上の瑣末でつまらない、だけど実際に問題ではあることを連ねているだけというか。だから収拾がつかなくなっているというか。何も解決せずに結局それをずるずる引きずっていくだけの未来にちょっとうんざりするような、あきらめに似た読後感が残った。
 だからこそ、ハンノキが自分にかされた重荷から開放されて奥さんとあの世で再び一緒になった姿に、そして現実世界では彼の悲しみや重荷を肩代わりしたテナーの姿がすんなりと胸に響いたんだと思う。死んだ人の背負っていたものは、死んで一緒に解消されるんじゃなく、後に残った人たちにちゃっかり置いて行かれるという真実。ただテナーは強いから、その荷を肩代わりすることに不安は覚えなかったけど。

 それにしてもこのとりとめのなさは一体どうしたもんか。無理矢理シリーズを再開しといて、それまでの世界観を引っ掻き回すだけ引っ掻き回して、そして最後にはなにも決着が付かないなんていいんだろうか。ひねった首が元に戻らない。続編出るのかな。


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