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「チェ 39歳別れの手紙」 [watching]

 冒頭、カストロがゲバラの手紙を読み出すのにはびっくりしたが、その後、我慢して「28歳」のゲリラ戦のコピーを2時間も見させられて改めて思ったのは、やっぱりあの時エンドロールが流れてればよかったのでは?ということだった。
  誰なんだよ、この一連の邦題考えた奴。全然「39歳」とか「28歳」っていうマイルストーン自体に意味もなければ、「別れの手紙」も作品の内容には全く関係ないじゃん。そもそも2部の方は、原題「Guerrilla」だよ。原題そのままだったら観る前から内容間違わずに伝わったのに。ちなみに1部の原題は「Che The Argentine」。ちゃんと作品の言いたいことが全部詰まった台になってるのに、それをわざわざセンスのない邦題に蹂躙される原題のメッセージ。商業的な要素にばっか気を遣ってて、作品の内容を伝えるという本来の目的を完全に失っている。ほんとこの邦題付けた奴誰なの。無責任にもほどがある。
 タイトルから受け取るイメージって作品にとっては顔なわけじゃない。もっとことの重大さをちゃんと理解した上でつけてほしいよ。

 作品は「28歳」がそうであったように、いきなり、何の説明も、猶予もなく、脈略もなく、観客は「革命」の中に放り込まれる。
 ゲバラに何があって、キューバを、カストロを決別せしめ、彼をまた別の戦場へと身を投じさせ高の説明は一切なしに、いきなり家族を捨ててボリビアに行く。しかも行く時点でかなり無理っぽい雰囲気がぷんぷんだった。当時もそうだったのだろう。なぜそうまでしてわざわざ負け戦を選ぶのか、そのモチベーションの裏付けは自分で調べてくださいという方式の作品だった。そういう作品のあり方は「28歳」と同じでブレがないから、同一作品として続けて観る分にはむしろその一貫性を褒めるべきかもしれない。

 なぜなんだろう。なぜそうまでして他の国のことに首を突っ込みたがったんだろう。所詮はよその国のことじゃんか。しかもキューバでの勝利は彼らの革命計画の初めの一歩だっただけに最重要なものであったにも関わらず、その革命が意図した志は結局道半ばにして折れるという悪しき例になってしまった。
 いざ革命起こして独立してみたがいいわ、キューバはあっさり大国の前に跪く。ばかりか、別の大国の番犬になり下がってしまい、またそうあることでしか国際社会に主張できないラテンアメリカ諸国の小ささにゲバラは失望したことだろう。もともとの野望の大きさや、独立するまでの道のりで流された血のことを思えばなおさらだ。彼はカストロと違って、自らが一兵士と肩を並べて、同じ飯を食って、死線をさまよいながら得た、崇高な理想へと引き上げる勝利であったはずだ。それが結局、小さな国の革命は、別の大国の思惑にあっさりと喰われてしまう。
 故郷を捨て、家族を捨て、よその国に煙たがられてまで目指した理想が何だったのか、個人的にはそれをもっとゲバラと言う人物像の軸に置いてほしかったが、どうやらこの作品に対するそもそもの観点自体が監督のそれと大きく違っていたということに売れ残りのプログラムを読んで気付かされる。
 曰く、「偉大な思想を行動に移そうとするときに伴う、技術的な困難に興味があったんだ」
 ふむ、これはつまり、とりもなおさず、ゲバラが真綿でじりじりと首を締めあげられていく過程を撮りたいということに他ならないと私には受け取れる。
 技術的な困難も何も、ボリビアの失敗は、裏切りや部下の失策や、当てが外れるといった、単純なだけに不可逆的な負の連鎖であって、技術なんてものではないと思うけれど。この映画でもよくよく考えさせられたのは、政治ってのは人の思惑が作るシステムなんだよ。ゲリラ戦の技術に長けてりゃどうこうって話じゃないと思う。それはもう先陣を切ったキューバですぐに露見した事実じゃないか。
 ゲバラって、本当に「いい人」だったんだな。
 どんな志を持っていて、何ができる人だったかをこうして知っているから、無教養なボリビア人のために死ぬなんて勿体なかったと今は思うけれど、でも、本人は革命の火に身を投じてそれに焼かれて死んだのだから、たとえそれが道半ばであったとしても、道に大きくそれて死ぬよりかは本人の最期としてはよかったんじゃないだろうかと考える。

 映像のクオリティは、戦場となった山の中での映像が映るたびに気になっていたので、それなりの新技術を投入したっぽい記事を読んでそうなんだと思った。
 全部にピントがあってるんだよね。映ってる画面の全体にくまなくピントが合っている。それっていかにもデジタルの仕事なんだけど、それでいてデジタルらしい目障りなちらつきは少ない。ソダーバーグが好きなホワイトバランスの強い色味のせいかとも考えた。

 印象深かったのは、山岳地帯を逃げまどいながら、とある村に駐留したときに、ゲバラが村の子供を相手に戯れる場面があるんだけれど、そのときのゲバラと言うよりは、デル・トロの表情が新鮮で忘れられない。彼自身が子供みたいに初々しい表情をして、それが線上にはとても似つかわしくないものに見えたから。デル・トロは子供が好きなのかしらと思わせる場面だった。そうであるといい。本人は子供がいるのかな。子供と共演していて印象深かったと言えば、「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」のデイ・ルイス。息子役の男の子と戯れている時の彼も、とても優しい表情を浮かべていて胸を打たれた。それと同じものを見た気がする。

 ゲバラ自身、5人も子供を作ったのだから子供好きであったのかもしれない。もしくは単純に否認をするという文化を持たない人々だったのかもしれないが、プログラムの最後に子供たちに向けて書かれたとされる手紙を読む限り、子供をたまたま作ってしまったと言うだけではないのだろうという気はしている。
 ただねえ、この手紙のさしている子供たちって言うのが、キューバで知り合った女性との間に出来た子たちだけなのではないかと思って、そう考えると最初の妻との間に出来た子供がとても不憫に感じて、悲しい気持ちになる。
 ゲバラ本人曰く、「女を好きにならないくらいなら、男をやめる」と言うくらい女性が好きで、愛のない革命家なんて偽物だというくらい、愛に溢れた人だから、どの妻のどの子供も、平等に愛情を傾けたと思いたい。
 そうでないとアルゼンチンにおいてきた家族があまりにかわいそうだ。

 ゲバラが息を引き取る時の場面、一度私もああいうのを夢に見てとても怖い思いをした。愛する人に別れを言う間もなく終わってしまう焦り。私の場合はパニックに近かったかな。どうしようと気ばかり焦っていたので、痛みや恐怖は全く感じなかった。とにかく、家族や、愛してる誰にも何も言えず、理不尽に、永遠に、すべてを終わらせられてしまう状況に戸惑い、焦っていた。
 ゲバラの場合、捕まった時点で銃殺を予想していただろうから、彼の魂は、心を乱されることなく逝けたことを願うけれど、歩哨に立っている兵隊を懐柔して、死の間際まで生き延びることをあきらめなかった姿勢を思い出すと複雑な気持ちがする。
 確かに夢半ばではあったけれど、それでもなお、彼が悔いなく、最期を迎えられたことを願う。

che39.jpg
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