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「蜘蛛の糸・杜子春」 [reading]

*** プロローグ ***

 「蜘蛛の糸」は小さい頃から好きな話だった。「まんが日本昔ばなし」で「蜘蛛の糸」を見たと言う記憶は定かではないけれど、お母さんの実家の居間と言うか、居間兼仏間と言うかに小さな本棚があって(多分あれは本来本だなとして使われるものではなかったかもしれないが)、そこに「まんが日本昔ばなし」の本になったものがあった。子供の手に収まるような小さな絵本だったと思う。
 「蜘蛛の糸」は決して子供好きのするような話じゃないと個人的には思うんだけど、でも地獄って言う暗い印象に強く惹かれた。あの独特なおどろおどろしさと言うか。とにかく、お母さんの実家に行くとよくその小さな本を夢中で読んでた記憶がある。
 多分、もともと絵本が好きな子供だったんじゃないかな。特に、珍しいどんな国か知りもしない外国の昔ばなしとか、絵本に惹きつけられて今でも、お話や絵を断片的に覚えてる。ネコが郵便局のお手伝いをするのと、なんかアラブの王子が身分を隠して豚飼いかなんかになって、女の子の期を引き様なちょっとエッチな感じのする話。題名を覚えていないのが残念だけど、今でもあるなら読んでみたいな。


【蜘蛛の糸】
 すばらしい。この文章力は子供の話にとどめておくにはあまりにも完成度が高い。こんなにきれいな敬語のつらつら出てくるお話を他に読むときがあるだろうか。敬語って美しいんだなと気づかされたよ。読んでて気分がよくなるくらい。敬語って言うのは言葉の響きの問題でもあるのかもしれない。身分の高い人の耳に雅に響くようにって。

 大人になって読み返しての感想は、やっぱ神様って気まぐれで、無慈悲なんだなってこと。思いつきで助けようなんて思うなよ。ひどい奴だな。人間弄んでいるようにしか見えない。あいつは、日がな一日庭をうろつきまわって、朝に思いつきで蜘蛛の糸を垂らし、昼にはまた違う犍陀多を違う蜘蛛の糸で助けようとするに違いない。
 蜘蛛の糸の教訓は「どんな罪びとにも慈悲の心があって、そのために救われ得る」と言うのが一般的らしいが、個人的にはもしそれが本当なら地獄に落とす前にそのチャンスをやれよと思う。
 そもそも神様って考え自体が公平性を欠いていて嫌だ。それとも、宗教とは世界に公平なものなどないと言うことをこそ知らしめるための存在なのか。宗教やってるやつらはいったいどんな世界を理想としているんだろうな。資本主義か?社会主義か?

 あとがきの中の解説に面白い研究の話がある。「蜘蛛の糸」の原案を見つけたと言うものなんだけど、芥川が依ったであろう同じ原案をロシアでトルストイが翻訳している。その名も「カルマ」って話で、どうやらアメリカ人作家の作品が元ネタのようだね。こういう研究面白そうだなって思う。「抱擁」ってアーロン・エッカートとグウィネス・パルトロウが出てる映画を見てからそう思うようになった。あんなことだけが仕事で生きていけるなんて羨ましい。新しい発見なんてそうそうないだろうに。それどころか多分、重要な情報はきっとそれと気づかれずに日々捨てられていっているに違いない。
 研究っていいな。私も大学院に進めていたら誰か自分の好きな作家を研究したいって思ってたけど。


【犬と笛】
 ダンジョンもの。そんな感じ。

 「髪長彦は横笛を手に入れた」

 みたいな。
 1つの冒険で1つのアイテムを手に入れて、次のステージに移り、そこではその新しいアイテムを使うようなドラマが待っている。RPGの基本でしょ?やったことないけど。
 
 髪長彦は草食系だ。それでいて、両手に花とはいやらしい。オチに、

 「どちらの姫様が、髪長彦の御嫁さんになりましたか、それだけは何分昔の事で、今でははっきりとわかっておりません」

 だって。今までこんだけ詳細に語っておいて、そんなことだけは昔扱いかよ。
 もちろん両方嫁にもらったにきまってる。神が一夫一婦制だなんて、まさかそんな。気に入ったのはみんな嫁にするにきまってる。産めよ増やせよなんだから。

 芥川自身がもやしっ子であったためか、主人公が男気溢れるみたいな精悍なタイプに出会ったことがない。なぜ髪長彦がこんなビジュアル系みたいなほ容姿である必要があったんだろう。その女男みたいな外観がストーリー上重要な役割を担っているという訳でもないのに。
 変なの。


【蜜柑】
 解説によるとこれは別に童話といことではないらしい。でも、芥川の鬱々とした性格がよく分かるよ。そんなに気になるなら声掛けたらいいじゃん、その女の子に。
 「三党車両は向こうですよ」
 とか
 「煙が入るので窓を開けないで貰えますか」
 とか。
 龍之介とは名ばかりで、とんでもない意気地なしだ。だから死んじゃうだよ。自分から何も言うこと、聞くことなしに娘の大度を厚かましいとか、卑しいと蔑んでいる。
 けれど、だからこそ、まだ娘と言うにはあまりにも子供じみた女の子が、窓から蜜柑を放り投げた時のこの男の胸に去来する感動は大きい。

 彼の心の中もこんなふうに、普段は暗く沈んだ中に一瞬の鮮烈な印象を見るようなものだったのかなと、そう思った。


【魔術】
 『これ、芥川の話だったんだ』
 って、読んでて気がついた。
 昔、中学生の頃だったか、高校生の頃だったか、近代文学のミステリーだけを集めたアンソロジー本があって、「不思議な物語」とか言うタイトルだったと思うんだけど、今記憶を頼りに調べてみたら「幻想文学館〈2〉なぞめいた不思議な話」だった。そうそう、所蔵作品がこんなんだった。
 聞いたこともない外国文学ばかりだったけど、もともと外国文学に抵抗がなかったし、結果的に私個人の文学史にとってかなりいい重要な出会いとなった。
 私が最初に読んだ漱石の「夢十夜」はこれに納められていたから。

 そこにこの作品も入っていたんだ。今改めて目録を見ると日本人作家の作品は漱石と芥川しか納められていないんだね。おそらく私がこれを読んだ当時の年齢よりも下を狙って編集されたと思わしきアンソロジーではあるが、日本人作家以外の作品はかなり難易度が高いものであったという記憶。
 かなり気に入っていた本だから捨てたはずはないけれど、どこかにあるにしてもホイと手の届く所にはないだろうな。

 最初の一行を読んで、降りしきる雨音と共に記憶が襲いかかってきた。提灯を付けていても暗くて何も見えない洋館の前、雨音で他の音は何も耳に聞こえないくらいの大雨。そう言った映像が、水の匂いもするかと思うくらい鮮烈に思い出された。
 これほどまで異様に生々しく雰囲気を感じさせる話はない。暗い室内、ランプは灯っているけれど闇が濃くて、燃えている炎意外に明るくなるものがない。男が二人小さなテーブルをはさんで向かい合って、葉巻の紫煙が湿気で重くなった空気の間をくゆっている。私にも雨の音が聞こえそうになってくる。

 話はね、オーソドックスではあるけれど、無駄がなくてむしろ小気味いい。そこに芥川なりのスパイスが効いていて、ありきたりのプロットを絞めている。カードのキングがニヤリと笑うところなんか悪趣味で作品の雰囲気に合っていると思う。
 「魔術」はそこに描かれている世界を読者の目に鮮やかに映して見せる。キングも小説とは、そこにないものを見せることが出来ると言っている。そういう力が最大限に引き出されている感じがする。
 確かにこの作品には「魔術」があるかも知れない。


【杜子春】
 これは有名なんで、読んでみたいと思っていたけれど、思ったほどのものでもなかったな。 
 特に杜子春が再三再四財産を破産する姿はあきれる。なんでもっと大事にして生きれないんだ。それをこそ教えてやれよ。何度身の程知らずな財産を与えても、一昼夜にして散在する杜子春に、湯水のようにチャンスの与えられることが私には信じがたかった。杜子春のどこにそんな価値が?得られた財産を管理もできず、付き合う友達も選べず、一文無しになるはまったく杜子春の甲斐性のなさが招いたものなのに。こいつにんどんな徳があったらこんな度重なる助けが得られるんだと私は杜子春を妬んだ。
 と言うことで、むしろこの話は私にとっては不愉快だった。
 だって、最後には希望通り人里離れて静かに暮らしちゃうんだよ?それも、家具調度一揃いの一軒家付きで。
 世の中ってやっぱ不公平なんだなぁ。


【アグニの神】
 ヒーローもの。拳銃持ってるし。ドア蹴破って入ってくし。相手はお嬢様だし。
 信じられないけど、書生が自分の主人の娘を探すのに、現地当局が信じられないからと言って、拳銃一つ持って知らない街をさまようと言う、その姿をもっと一生懸命掻いたら立派なハードボイルド小説になったと思うんだけど。しかし、拳銃は最後まで火を吹かなかった。それもまたもやしっ子の芥川らしいけど。
 個人的には、アメリカ人が日米間の戦争の開戦を占いに来る辺りが、逆に現実味を帯びていて好ましかったな。


【トロッコ】
 これは、私が男の子でないせいか退屈な話であったけれども、良平がおびえて急き立てられるように走りぬく様子はどこか自分にも身に覚えのあるようなノスタルジーと焦燥感が感じられた。そして良平が走り始めると同時に周りの物が急に色彩を帯びてくる。良平が疾風の如く駆け抜ける景色、町並み、驚きの表情で良平を振り返る顔、顔。そんなもの達に急に色が付き始める。
 けれどその鮮烈な印象もひとしきり治まると、物語は急速に熱を失い、なんの脈略もなく良平の18年後に飛んでゆく。芥川はこんなにも幼年期の思い出を色鮮やかに引き出すことに成功しているのに、なぜそこへ苦々しいサラリーマンの生活なんかを振り返えさせたかったのだろう。不思議。

 でも、子どもにとっての知らない人って往々にしてこうだよなと、私自身も身に覚えのあることとして思いだした。親切にしてくれているのかと思ってなついていると、実はあしらわれていただけだったりしてさ。それで子供の心がどれだけ傷つくことか。見ず知らずの人にそんなふうに扱われることに。そうして他人に対して用心深くなっていくのかも。
 でも、不思議と自分の親をそんなのと同列にみたりしたことはなかったな。やっぱり別人と思っているんだろうか。良平も大人にあんな目にあわされて最初に駆け込んだのはお母さんの胸の中だった。


【仙人】
 これは突拍子もない話で好きだった。
 私も松の枝から権助が「どうも有難うございます」と言って空へ昇って行く姿を見たかった。
 ただ、そんな昔から転職エージェントってあったんだと言うことを知って驚いた。
 ふうーん、いつの世も人間の考えることって一緒なのね。人って賢くなってんのかなと思わず首を傾げたくなる。


【猿蟹合戦】
 これはパロディなんだけど、子供が素直に喜ぶ鳥獣の勧善懲悪ものを、なにもこんな厭な話に仕立てなくてもいいのにと気持ちがやつれた。
 ほんと根暗だな、こいつ。
 ただ、連合軍側に「卵」って言うのが出てきて驚いた。私は猿蟹合戦に生モノが出てくるという記憶はなかったから。でも、解説を読んだら、連合軍側には「栗」がいたとする説と「卵」がいたとする説があるそうな。しかしいずれも囲炉裏に落ちて爆発したのが猿に飛び掛かるということらしいんだけど、卵っが囲炉裏に落ちて爆発するかなぁと思ってちょっと怪しく感じた。電子レンジならまだしも。


【白】
 白が黒くなっただけなのに自分の飼い犬と気付けないなんて、その飼い主に白の努力ほどの価値があっただろうか。私ならジョディが黒くなったってジョディだって気が付くけどな。
 このフィクションはなんだか滑稽だった。コメディというより滑稽。白の活躍を新聞が報じるあたりとか。
 それよりも「犬殺し」なんていう職業が大っぴらにあったことが憎まれる。それくらい当時は野良犬も自由に暮らしてたって言うことなのかもしれないけど。でも、そんなに町に犬が溢れている様子が想像つかないよ。ましてやそれを人が首に縄ふんじばって連れてく様子なんて。
 関係ないんだけどさ、この前テレビで桃太郎侍が三味線には猫じゃなくて犬の皮を使うんだと言って私を驚かせた。犬皮(けんぴ)って言ってそっちのが高級なんだって。猫の皮のは練習用なんだって。
 そしたらさあ、そうやって連れてかれちゃった犬猫はみな同じ運命だったのかなぁとか考えちゃった。
 犬の皮で楽器って……。今でもそうなのかしら。

*** エピローグ ***

 「まんが日本昔ばなし」はなんかテープでも持っていたように思う。「髪長姫」とか。そんでそのテープを聞きながら絵本に見入っていた記憶がある。
 「まんが日本昔ばなし」は大分大きくなっても録画して家族みんなで観てた。連載の最後の方はさすがにネタ切れ、内容もマンネリ化してきちゃってて、観る方もダレて来ちゃってたけど、それでも夢中になってみてた頃は、画像も、ストーリーテリングも子供の見る番組にしては質が高かったと思ってる。今質よりもお手軽さが好まれるような世の中じゃ、望むべくもないクオリティだったと思ってる。それは多分あの頃のアニメ全般に言えることなんだろうなと最近昔のアニメを見返してて思うよ。どうしてこんなにチャライキャラクターの薄っぺらいドラマのアニメばっかりになってしまったんだろうな。あれじゃ子供の心も育たんわね。
 それほどに高品質な子供向け番組がDVDはおろか、再放送の目途も立たないなんて悲しい話だわな。大人が目の前の利権にうつつを抜かしている間に子供は育ってしまうよ。再放送やDVD出版が決まってからまた小さくなるってことはできないんだよ?世の中には取り返せないものがあるってことに気が付かんかな。
 ただもうそんな風にして、今ではもう希釈な娯楽にどっぷり浸かってしまっている子供たちが、こんな骨のある文章を読んで何か感じたり考えたりできるのかな。
 いろんなことが悪い方にしか進んでいないような気がするのは私だけかな。



蜘蛛の糸・杜子春 (新潮文庫)


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