SSブログ

「ウォンテッド」 [watching]

 ストーリー自体はかなりっくっだらない。が、ジェイムズ・マカヴォイ、そこそこ気に入った。
 イギリス人らしいね。きれいに訛りを消してるんで、ちょっと分からなかったな。ただ、この子は主人公のはずなのに影が薄くて。なんか、弱い。プロテインで増強した筋肉もむしろ要らなかったと思う。普通の人の設定なんだから。とにかくインパクトがないと言うか、男の子で主人公なんだからもっとしっかりした芯が一本あってもよさそうなのに。一口で言って、ヒーローの素養がない。けど、そこが良かったと思う。普通の人らしくて。アクションも板についてなくて本当にハラハラさせられた。車道に飛び出して車のボンネットに飛び乗るところなんて本当に本人がやってるんじゃないのかな、あれ。

 あと、始まってしばらくはロックがガンガンなんだけど、これがまた画面の雰囲気と合ってなくて単に耳ざわりなだけだった。暴力性とか攻撃性の雰囲気を出したかったんだろうけど、大体主人公がヘタレだし、演技とミスマッチだなと顔をしかめる思いで観てた。
 ロックの攻撃性と作品の雰囲気が合ってるのって、例えばさ、「ワイルドスピード」みたいな作品のことだと思うんだよね。必死になってOST探して手に入れた記憶があるよ。それも、センスのいいのが評判になったらしくて2枚も3枚もコンセプト違いを出してたって記憶。ロック系と、ヒップホップ系でそれぞれOSTを作ってたりして、よっぽど劇中の曲に凝ってるんだなと思ったよ。
 話がずれたけど、あの作品は映像と音楽がすごく合っている。笑っちゃうくらい合っている。主人公が背後から襲われるシーンでは”WATCH YOUR BAAAAAAAACK!‼”ってサビを被せてくるくらいに画面と音楽の構成をよく考えて使っている。つまり、制作側が画面が放つメッセージ性や雰囲気を増幅させる装置として、音楽、ロックって言うのをよく理解しているってことなんだと思う。一口に言っちゃえば、要は制作側に筋金入りのロックファンがいたってことだと思うんだけど。
 だけど、この作品は曲の雰囲気とスクリーンの雰囲気がちぐはぐだ。それが気になった。音楽だけ聞けば確かにかっこいい曲を使ってそうだなとは思って、OSTを見てみたいなんても考えたけど、作品としてはそれほど意味を持たない演出になってしまったと思うな。

 そもそもフラタニティの発生原理もよくわからない。必要か?機織り職人の暗殺組合って。
 ターゲットの指定が機織り任せというのも、いかにも腑に落ちない。だからそれは意味があるのかっつーの。
 無作為に、都合よく解釈された誰かを殺して、単純に人口を減らすことが目的だというなら分かるけど、どう贔屓目に見てもそんなのはただの大きなお世話だ。
 誰かが誰かを殺すかもしれないなんてことは起きてみるまで誰にも分らないでしょう。誰かを殺すかもしれないなんて理由、くだらなすぎる。彼らは少なくともクリスチャンじゃないよね。
 だってさあ、布から分るのは名前だけなんだよ?同じ名前の別の誰かってことはないの?同じ名前の人なんて何人いる?暗殺者なんて何人いても足りない。ターゲットは必ずナメリカ人か?同じ名前のオーストラリア人は?スイス人だったら?
 フラタニティってなんかモデルがあるのかなと思ったら、実態は似ても似つかないけど、同じ名前の団体があった。
 まったく。そんなすぐに足の付くようなアイディア……。クリエイターならもそっとオリジナリティ見せてくれよ。

 いずれにせよ、この話はくだらなすぎる。
 アサシンの素養は才能や能力ではなく、血であるようなことを言っておきながら、他のアサシンはみんな野良犬でしょう?フォックスだって元は大使の娘かなんかなのにちゃんと球を曲げられる。血とか関係ないじゃん。
 尻軽の彼女といつまでも同じベッドで寝るようなヘタレなのに、数発殴られて胸板90cmとか、ないでしょう。普通に考えて。殴られてんだよ?念じるだけで弾が曲がるとかさ。子供だましじゃん。超人になりうる過程にもっとプロらしくもっともらしい背景を考えておいて欲しかったな。

 私は知らなかったんだけど、この監督はロシアでは有名らしいね。「ナイトウォッチ」とか「デイウォッチ」とかいう連作物を撮っていて、これもその延長線上と考えて撮ったんだとか。ほんまかいな。他の観る気失せるけど。ちょっと面白いエピソードだったのが、ロシアでは映画に銃を出せないって規制があるんだって。それで今回はハリウッド映画ってことでいやってほど使ったんだろうね。どおりで銃にこだわった演出をするわけだと思って得心が行った。こんだけつまらなさに埋もれた中で、唯一銃の演出が光って見えたのはそのせいだったんだろう。弾が曲がるとか、弾丸に文字を入れてるとか、それでも"untraceable"だって言うのには首をかしげるけど、まあでもその辺はこだわりとして大目に見れた。

 アンジェリーナ・ジョリーは予想通り地味な役で、最後に死んでしまう辺りなんかは好感さえ抱けた。台詞が少ないというのもよかった。あの人が演技に優れていると思ったことはないんだけどな。なぜみんなチヤホヤするか。あまつさえ今年のアカデミー賞にノミネートされたときには自分の耳を疑ったよ。映画自体はとても観る気にはなれない内容なので観てないけど。でも、こういうイメージとか、印象を残すだけの役ならいいかもなと思った。要するに、口も利かずにかっこいいふりするだけの役ならさ。確かにかっこよかったよ。スーパーで睨みを利かすとこなんて、私も思わずかっこいいと思ってしまったくらいだった。
 モーガン・フリーマンにはがっかりさせられた。やっぱりあのおじいさんに悪役は無理だ。台詞とかが軟過ぎてかっこ悪かった。あんなにかっこ悪いとは。ミスキャストもいいとこだ。もっとハクのある演技もできるバランスのある俳優を使えばよかったのに。例えばさ、モーが倦厭語を使うとさ、普段使いなれてないせいか台詞が浮いちゃってるんだよね。それがもうかっこ悪くて。こっちはこっちで普通のおっさん過ぎて貫禄に掛けた。そう言えば、「ダークナイト」の時も、存在感薄かったな。この人は品が良くて、演技もできるけど、貫禄に欠ける。考えてみてると、アンジェリーナと好対照だな。
 ああ、あとテレンス・スタンプが出ててちょっと驚いたけど、この人ってこういう役が多い。塩にも醤油にもならないというか。作品の決め手には決してならない感じの役が。なんか書いててすごく失礼な気がしてきたけれど、でも、他の名もない人を使うよりかは、演技に品があるし、制作側の意図した雰囲気を可もなく不可もなく醸し出せる人だとは思うから。そう言う意味で他にこういうポジションの役を真似出来る俳優ってなかなかいないと思う。でも、やっぱり、この人が出てて、だからいいって言う作品はないよね。そんな気がする。

 それでも、イケてない貧弱リーマンのウェスリーの独白に始まり、独白に終わる辺りには小気味よさを感じた。子供だましな演出だったり設定だったりすることは否めないけれど、お筋で決してヒーローメイキングなストーリーではないところに最終的な好感を抱いた。むしろヒーローになれたと思う社会的弱者を、それは夢だったと奈落に突き堕すような、サディステックな作品だ。結局ウェスリーは何もかも失うわけだけれど、それでも彼の中の肝心な何かが、本質的な何かが変わったと思いたい。少なくともこの人生を生き抜くだけの強さは得られた。それだけでも羨ましいと思う。

 ただ、まあ私だったら顔を殴れらた時点で早々にあきらめると思うんだけどね。

wan.jpg
nice!(0) 
共通テーマ:映画

nice! 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。