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「ハプニング」 [watching]

 うむ。タイトルそのまんまの、起こりっぱなしの映画だった。なんじゃこりゃ。これはあかんやろシャマラン。観てる方も半分まで行ったらどう終わらせるのか分かっちゃってつまんないよ。テーマも、身近なつもりなのかもしれないけれど、内容が一方的すぎてとらえどころがなさすぎる。そもそも蜂の話はどうなったんだよ。オチがないにもほどがあるだろ。

 痛ましいシーンで人の不快感を煽るホラー映画は多いけど、これはそれをしようとして安っぽくなってしまっている悪い例だなと思った。ホラーでなくてそういう痛いシーンをリアルに描いている映画は他にたくさんあるというのに。真骨頂で手抜きとは、名折れなんじゃないのかシャマラン。
 まあそのおかげでスクリーンから目をそらすことがなかったのはいいことではあったが。そのせいだろうと思うんだけど、収支作品には手ぬるい印象が絶えなかった。なんて言うか、画面が締まらないというか。ホラーなはずなのに緊張感が足りないというか。
 つまり、テーマがいまいちピンと来なくて、観てる方は画面を眺めてるしかできない。感情移入できないんじゃそらつまんないよね。

 マーク・ウォールバーグ。名前変えたんだっけ?出世したなぁ…。「グッド・バイブレイション」だったのに。なんだか知らんが、勝手にそれなりの俳優になって食べていけてるところを目の当たりにするに、なんだかお母さんのような気持ちになってしまう。最初はデビューのイメージで悪ずれした役が多かったけど、どんなアドバイザーがいたのか、まあ当然本人の素質や才能もあってのことだろうとは思うけど、いいキャリアを積んで、気が付けば地に足のついた地味な俳優になった。
 しかし今回の演技は私はちょっと大げさだなと思ってみていた。今までは気が付きにくかっただけなのかもしれないけれど、学校で生徒の意見を引き出そうとする姿はやりすぎでしらじらしくとしか映らなかった。

 シャマランは、ホラーな中にもユーモアを忘れない人で、それは「サイン」を観てるときにもそう思った。
 神父の家に泥棒が入ったと思った血気盛んなホアキン・フェニックスが神父に扮したリーサルウェポンに泥棒を追い詰める手際を説明する、「ののしるようなことを言えよ」。すると神父がまるで似合っていないリーサルウェポンはたじろぎながら答える「俺は神父だぞ」。いや、見えないですから。その後、泥棒と思しき人影を追いかけながらリーサルウェポンはたどたどしいののしり言葉を大声で言いながら家の周りを走る。あなたが神父役と言う時点で私はすでにギャグだと思ったよ。
 「ハプニング」では、植物が人間に示す極度の拒否反応にビビるが故に、マーク扮するエリオットは思わず家の中に置かれている観賞用植物に語りかける。「我々は何もしない。すぐに出て行くから」。はたしてその観賞用植物は、本当の観賞用植物よりも鑑賞用途に作られた製品なのであった。
 「ハプニング」と「サイン」の類似点はまだある。「サイン」では、宇宙人が家の中に攻め入ってくるとなると、イケ面親子は家の中から板を釘で打ちつけて入って来れないようにするわけだけど、その作業をしながら、恐怖に戦く幼い子供たち一人ひとりに、彼らが生まれた日のことを話して聞かせる。この最期に対峙して最高の思い出を回想しようとする試みが「ハプニング」にもある。壁越しにエリオットとアルマが初めてのデートでのことを話し始めた日には、何もかもが二番煎じかと思って正直あきれたくらいだった。
 私は個人的にはアーティストがおなじテーマを繰り返すことは嫌いじゃない。それで洗練されていくものがあると思うし、繰り返すことで表現方法なんかの技術の向上にもつながると思うから。けど、今回のはあまりに内容が稚拙でテーマを繰り返すというほど高尚なプロットでもない。一度使ったプロットに安易に飛びついたって言う風に見えたな。
 そもそもエリオットとアルマの関係自体がストーリー上希薄で、二人の繋がり自体は重要でも何でもないところまで下げられてしまっている。そんなんでストーリーに厚みが出るはずもない。それは、預かった子供の存在にも言える。行きがかり的すぎる。人間関係の描写も弱いし、テーマとなってる自然驚異って所にも筋のある光をあてられていないから作品全体の仕上がりが未熟に思える。せっかくいい俳優も使ってるのにね。

 ジョン・レグイザモなんか久しぶりに見たよ。何ぶりかな。まさか「ロミジュリ」ではあるまい?あ、んーー、「ムーラン・ルージュ」かな。バス・ラーマンに気に入られてたのね。きっと。オフ・ブロードウェイで自作の一人芝居をやって評価が高かったらしい。観てみたかったな。レグイザモが舞台の上でどんな演技するのか。ナメリカ人はいいなぁ。生でハリウッドスターの演技が見れるチャンスがあって。普段スクリーンでしか見れない人間の演技力を目の前にして、同じ空気の中でそれを感じることができるなんて、ファンとしてこんなに興奮することないよ。レグイザモ、いい俳優と思うがなかなかキャリアが上がってかないね。「ロミジュリ」以降の人気の使い方を間違ってしまったかな。そう言うのって所属事務所の責任なんだろうか。プロダクションミスって言うか。ね。
 私がこの映画の演技で一番心に残ったのは、2か所。ひとつはレグイザモが、連絡の取れなくなった奥さんを気に病んで、主人公と別れてもどうしても迎えに行きたいと切々と訴える場面。レグイザモの奥さんに対する愛情が、実際にはスクリーンに出てくることもないのに、深々とその表情に刻まれていて胸を打たれた。レグイザモとマークが分かれるシーンは切ない。お互い助からないって分っているから。それを慰めあって、励ましあって分れる。「生き残る確率は60パーセントだ」といいきる数学教師。だけど、ジープの天井を覆う幌に裂け目を見つけた彼の目には、悲壮ではなく、むしろ思いを遂げられなかったことへの、また理不尽に奪われることへの憎しみや怒りが滲んでいて、そこに人間らしさを感じた。負ける運命を悲観することよりも、その絶望を怒りで表現するのがレグイザモらしい演技だなと思った。
 もう一つは、納屋にいたおばあさん。パッと見既に貫禄が違う。演技学校の講師もやっているらしい。彼女ほどの演技力のある人が講師なら、さぞかしいい授業が受けられるだろう。圧巻だったのは、エリオットに寝室に入りこまれて怒る場面。久しぶりに戦慄するほど迫力のある演技って言うのを見せてもらった気がする。しかも年取った女性に。

 最後まで納得いかなかったのが、トリリアン。トリリアンが出てたんだよ。ほんとに。びっくりしちゃうよね。最初の方、このちょっといっちゃった感じの頭弱そうな女の子をどっかで見たことあるなぁと思って、何となく髪の毛が邪魔なような気がしたから、顔の中身のパーツだけにしぼって意識を集中したら、「お!」と思いだした。トリシア・マクミランじゃん。
 「ハプニング」中のトリシア・マクミランは、て、アルマのことなんだけど、「銀河ヒッチハイクガイド」以上に不思議ちゃんだった。なんかおかしいよね。「銀河ヒッチハイクガイド」出の方がまともなキャラだなんて。一応、「ハプニング」はリアルな話なのに。しかし、両方とも人として、未熟と言うか、幼いという点においては似ている。うーん、そう言う役ばっか来るのもどうかなぁ。「あの頃ペニー・レインと」も間違いなくそんなキャラなんだろうなぁ。
 ズーイー・デシャネル演じる、トリリアンもとい、トリシア・マクミランもとい、アルマはかなりおかしい。挙動というか、発言もおかしい。というか、そもそもエリオットとアルマのカップル自体がおかしい。そこはレグイザモ演じるジュリアンの見解に一票投じたいところだ。あんなどうでもいいことで喧嘩というか、ぎくしゃくしてたなんて。あんたら高校生か?いや、今どきの高校生の方が複股掛けることにかけては技量が上かも。
 というか、なんでトリリアンを使ったんだろう。ていうか、なんでアルマはこんなキャラだったんだろう……。

 つまり、この映画は肝心なところが力不足で求心力が全くない感じ。なので、いたずらに人を脅かそうという程度の低い、もしくはメッセージ的には悪質な作品にさえ思えてしまう。
 観客に考えさせる映画が悪いって言ってるわけじゃない。そう言う映画で質のいいもの、完成度のたかい作品をいくつも見てきた。そうじゃなくて、考えさせたいなら、考えさせるテーマを明確にしろよと言いたい。

 何かが起こって起こったまんまというのは、ドラマにすらならない。
 次回はもっと骨のあるのを頼むよ。

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