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「スウィーニー・トッド フリート街の悪魔の理髪師」 [watching]

 久しぶりに女の子の日になんかに映画を観た。確かに女の子がいっぱいだった。そして始終落ち着きがなくて私をイラッとさせた。

 まあ思ったよりかはアクがなくて残念だったけど、コンパクトにまとまってて作品としてはよいものだったんじゃないかな。床屋が喉を切り裂き始めた辺りから周りが大騒ぎだったのを除けば、ストーリー自体は特に腑に落ちないとか言う箇所もなく、淡々と、この場合は朗々とと言うべきか、進んで行って、気が付けば、『お、もうおしまいか』というくらい、作品の流れがきれいにまとまってしまっていた。

 ジョニー・デップもヘレナ・ボナム・カーターも、ついでにアラン・リックマンも歌下手なんで、なんでミュージカルにしたかなと首を傾げてしまうんだけど、でもミュージカルに仕立てなかったらあのストーリーのスピード感はなかったろうな。しかし、ヘレナ・ボナム・カーターもジョニデも切れた演技で素敵だった。『うんうん』といちいち納得しながら見ちゃったよ。二人ともあまり表情のないキャラ設定なんだと思うんだよね。けど、要所要所でちゃんと目に狂気/狂喜が宿ってる。特にジョニーが昔床屋を開いていたその同じ場所で再び剃刀を手に"My arm is complete again!"と叫ぶ場面なんか。いいねえ。いい仕事だよ。さすがだなぁと感心しながら観てた。特にヘレナの方は、人肉でパイを作る傍ら、Mr.Tに恋したり、母性愛に目覚めたりとかいう複雑な感情表現もあるのに普通に仕事してた。普段は人の肉でパイなんか作ってて、復讐に獲り憑かれた男を肩であしらって、よっぽぼたくましく気丈に見えるけど、なんかの拍子に、あのお化けみたいにでっかい目に悲しみが宿ったりすると思わずはっとさせられたよ。ジョニデなんかよりはるかに難易度の高い役立ったと思う。ティム・バートンもさぞ鼻が高いだろうよ。

 最後、娘を殺すかなと思ったんだけどさすがにそれはしなかった。なんだ。残念。それくらいシビアに悲劇性を追求してもよかったと思うんだけどな。

 復讐の床屋は、最後かろうじて自分の妻を、知らなかったとは言え手にかけてしまったことを知るが、既にその時には娘も殺してしまっていることには気付かないまま果ててしまう。この悲劇の全容を知る人間が全て死んだところへ、のんきに船乗りが馬車を引き連れて帰ってくる。血溜まりに倒れている恋人。船乗りは冷たい骸を抱き上げて泣き叫び、発狂したまま、その足でまた何処へともない船旅に出る。船乗りはそのうちに物語の全容を理解する。行く先々で気の狂った船乗りが歌う。ロンドンはフリート街の悪魔の理髪師。その悲劇。その歌に出てくる者は今は誰も生きていない。船乗りの歌は真実だけれど、周りの人間は気違いのたわごとと取り合わない。そうして物語は風化してゆく。他のどのおとぎ話とも同じように。

 って言うのも、救いようがなくていいと思ったんだけどな。

 ティム・バートンはコンスタントにこれくらいの質の作品を作るからすごいと思う。これくらいアベレージの高い監督はそういないと思う。まあ、彼ほど自分のやり方にこだわって作品を作れるという監督も少ないのかもしれないけど。
 しかし、ジョニー・デップがオスカー候補に上がるなんて、キング・オブ・アートフィルムの名折れだな。ちょっと前だったら考えられないことだった。それくらいメジャーな作品に出るようになってしまったということか。彼自身の作品の選び方も変わったということもあるかもしれないけど、ティム・バートンも今じゃオタク映画監督って印象じゃなくなってるからな。全ては、単に時代が変わったんだと言って片付けられてしまうことなのかもしれないけど。

 次はティム・バートン以外の映画でヘレナ・ボナム・カーターを観たいな。

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