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「重力ピエロ」 [reading]

 私が気に入ったからなのかどうか、伊坂幸太郎の本をまた貸してくれた。

 やっぱりこの人の話面白いな。貸してくれた人はあんまりというんだけど、純粋に「面白い」と思うよ。やっぱりプロット組むのがうまいと思う。最後のオチが見え透いていたことが「アヒル」と比べちゃうと見劣りするけど、最近面白くないのが続いたからこういうの読むとほっとする。この人の話を読むと『物語ってアイディアだな』とつくづく思う。私にはないものだ。うらやましい。

 今回は遺伝子とかいう専門的な知識展開もあったりした。本を貸してくれた人が昔私に"selfish gean"っていう理論のあることを教えてくれて、この考えに肯定的だった。伊坂もそうなんだろう。世代が近いせいか、話の中で展開される知識もかぶっててさぞかし面白かっただろうと思ったんだけど、貸してくれた本人は「別に」だった。別に新しいことを言ってるわけじゃないから、だそうだ。

 今回の、というか、多分伊坂個人のテーマとして性と言うのがどうやらあるらしい。敢えてそう言うシーンを描かないのは、そう言うことに人並み以上に執着しすぎているからだろうというのが私の意見。サドを読んだり、あろうことか、ギャスパー・ノエなんかを引き合いに出してくる。ただの映画オタクであることを恥ずかしげもなく曝けるあたり、この人には恥ずかしいなんてことがないんだろうなとも思う。仙台ってホームグラウンドの名前も惜しげもなく出すあたりに郷土愛も感じるし。その様子から、自分と自分をはぐくんだ環境に誇りを持っていることは容易に理解できる。まあ本当は主人公の一人の話だから趣味を隠すも何もないけどね。ただほら、作者の趣味が丸出しだってことを言いたい。例えば、ハルキが時々垣間見せる趣味には恥ずかしいもんなんてない。どっちかって言うと鼻に付くほどきざな趣味で、だけど彼の場合それを本気で好きなんよね。だから罪じゃない。ただ、伊坂の場合、好きなものに対する愛情が読んでるこっちが恥ずかしくなるくらいストレートに伝わってくるんで、そんなにあけすけでいいのかなって思うってこと。
 というわけで、この作品の最大の失敗は『趣味は小出しにすべきだった』と言う点。作者自身の趣味がばれちゃうとキャラが知れてしまって新鮮味がなくなるし、なによりプロット先読みされちゃいかねない。キャラが同じで許されるのはハルキくらいだよ。だから、趣味丸出しで面白かったんだけど、これ以上この人の作品を読んで面白いと思えるかなって、ちょっとそれが不安になるくらい自信の趣味がてんこ盛りだった。

 おそらく、伊坂のもう一つのテーマが友情。この作品がということではなくて、多分本人的に、と今まで2つ読んで思った。なぜなら友情は人間関係の基礎だから。基本の人間関係がしっかりしているからこそドラマは面白くなる。だって結局はドラマって人と人との繋がりの賜物でしょ?だから男と女のホレたハレたより面白いんだと思う。そこを超えたところにある話だからとも言えるし、それを支えるものだからともいえる。
 でも今回それは友情ではなく、愛情だったと思う。家族の。兄弟と父親の話だったから。私が、こんなに仲のいい兄弟は気持ちが悪いし、実際に見たことがないと言ったら、本を貸してくれた人は「血が繋がってないからでしょ」という。でも、繋がってないと知ったのは二人とも大分大きくなってからじゃない。私の周りにいる男兄弟で仲のいいのって見たことないんだけど、この兄弟はゲイなのかと思うほど心理的な距離が近い。こういうのってありあえるのかな。

 涼しい顔して難しいテーマを扱っていると思う。性と犯罪と加害者と被害者という。そしてその被害者が一人でなく、家族だった場合、どう乗り越えるかという。
 結局は自分でけりをつけるしかないというのが伊坂の示した結論だと思う。どんなに法が整備されていても、それは悲しいかなただの文字で、実質的な人の行いを制限出来るわけじゃない。つまるところ、人が平和に暮らせるのは、その他の人の良心によってでしかない。言い換えれば、私たちは平和に生かされているということになる。どんなに法が裁くといっても、それは結局何かしら不幸が起こった後でのことに過ぎない。被害者が本当の意味で立ち直ろうとするとき、乗り越えようとするとき、最終的に必要なのは、本当の意味で自分を救うのは、他でもいない自分自身だってことなんだろうと思う。だって、愛する人が殺されて、たとえ犯人が死刑になっても、それで満足ってことにはならないでしょう。大事な人は取り戻せないんだし。そうしたら何が自分を救ってくれるだろう。『誰も誰かの青い鳥にはなれない』と萩尾も言っていた。だったら、救済は自分自身の中に見つけ出すしかない。なんだか仏教的だけど、でも究極的にはそうなんだと思う。
 本を貸してくれた人が「なんで人を殺してはいけないんだと思う?」という問いに、私が答えられないでいると、「自分も殺されるから」だと教えてくれた。当時はそれでもまだよく分らなかったけど、その後、悲惨な出来事に出会うたびにその意味がだんだん分ってきたような気がする。多分それは残念なことなんだろう。

 そう言う迷路みたいな不幸に遭っていないだけ、自分はまだ恵まれていると思う。この前なんて、特急電車の中で暴行を働き続けていた男のニュースを読んで心底吐き気がした。だって、ニュースになってたのは捕まったその男の余罪の方だったんだよ?1年も前の。他にいた乗客はみんな見ぬふりをしたという。そんなことってあり得るの?車掌も呼べないの?相手は拳銃や包丁を持っていたわけでもないのに。助けを呼ぶことも出来ないほど恐怖したまだハタチの女の子はだまってトイレで犯された。被害の起こった鉄道会社は「トイレにある緊急ボタンを利用してください」と言っただけだった。常習犯の犯行現場だってのにだよ?みんな頭おかしいんじゃい?
 私たちはそう言う狂った世界に生きている。平和で暮らせるほうが不思議じゃない?私はこの黙って置かされてしまったまだハタチの女の子がとても心配だ。この先どうやって生きていくの?いまどうして生きているの?どうやったらこんな理不尽を自分に納得させられる?その場にいて見て見ぬ振りした男はみんな死んでしまえばいいと思った。

 話がそれたけど、性って言うのがこの話の大事なテーマでもあるから。「春」はこの個人的な決着のためにとっても回りくどい方法をとる。それが正しいとかってことは誰にも裁けない。これは「春」の出した答えだから。少なくとも、「春」とその家族にはこの解決策しかなかった。そこに他人の入り込む余地はない。と思う。それを支持するとかしないとかは問題じゃなく、それについて考えることが伊坂の狙ったことじゃないかな。父親が、息子の手を取って「よくやった」的なことを言うのはどうかと思うけど。

 そして必ずペットショップとボブ・ディランが出てくる。犬が好きみたいね。犬に癒されるって感じが滲み出てる。そして、描写だけでガンズの発禁になった1stアルバムのことを言っているんだなと言うのもわかった。世代が近いと肝心の名前を隠してもバレバレだ。
 本を貸してくれた人曰く、「必ずかっこいい男が出てくる」と言ってそれに納得いかない様子だった。確かに「春」があんなにかっこよくある必要があるのかどうかは私も疑問だけど、多分それも伊坂のテーマなんだろう。息を呑むほど美しい男と、作り物みたいに美しい女性が。必要性とか言うことを問われると、まあ確かにねという感じはするね。私は人として魅力のあるキャラのがいい。ので、自分にバカ正直なお兄ちゃんはとっても面白いキャラだった。
 「春」は験を担ぐのに忙しい。ジンクスも犯さない。なんでこんなに験担ぎにしつこいのかと思ったら、貸してくれた人に本の感想を言おうと思ってメールを書いてて、伊坂の名前を間違えてないかググって見たら理由が分った。伊坂幸太郎は西村京太郎にあやかって同画数でつけたペンネームだった。私は験を担ぐっていうのは「春」のキャラのために作った性格かと思ってたら、お前自身かよと思って正直ここまで来るとあきれてしまった。

 1個の作品で引き出し開けすぎなんじゃないかと思って、伊坂幸太郎のこの先が心配になった。

重力ピエロ


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