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「ゲド戦記II こわれた腕輪」 [reading]

 これは、ゲドの話と言うより、テナーの話だった。そしてこの話が「千と千尋」のモチーフになっているんだろうなと言うのが読んだ直後の感想だった。というか、そもそも「影との戦い」からして宮崎駿の影を見ることが出来るんだけど。「ゲド戦記」の宮崎駿に対する影響力は想像以上に強くて驚く。「ナウシカ」に出てくるオームはエレス・アクベの倒した竜の名前そのものだし、凶暴で人になつきにくいテトもゲドが青年時代に飼っていたオタクのことだ。
 「千と千尋」で物語の核となって、「ゲド戦記」のモチーフと重なるのは物の名前の「縛り」だ。物につける名前が物そのものを縛ると言う概念は「陰陽師」で安倍清明も言っている。千尋は「千尋」と言う本名を失ってみて初めて成長するのだけれど、両親は名前を奪われて正体不明に陥ってしまうし、なにかと千尋を助けるハクは千尋が記憶を取り戻す過程で奪われていた本名を思い出して自分のアイデンティティを取り戻す。
 「物には本当の名前がある」。そしてその本当の名前にこそ自己を開放するアイデンティティの存在することが宮崎駿の物語と、ゲドの物語全体を通して共通するテーマだ。 「こわれた腕輪」は「千と千尋」の逆パターンだ。王子が姫の本当の名を明かして呪縛から解き放つ。

 宮崎吾朗の描いた「ゲド戦記」で出てきたテナーはアルハのことだった。純粋な心を持ち合わせて生まれたテナーは天下無双の巫女として植えつけられた高慢と日々葛藤する。世界に自分が知る以外の世界はなく、そこでは自分は王をもしのぐ権威だけれど、テナーとしての純朴さが権威自体に疑問を抱く。命の価値に優劣があるのか。人になぜ身分などと言う差別があるのか。だけど巫女であるというプライドが常にその疑問をはねつけてしまう。そこに常識を覆す存在が現れる。テナーは侵入者であるゲドに恋心にも似た気持ちを隠さないけど、それが恋心の発露であることに気が付いていないからこそその気持ちは幼いままで発展しない。その様子には少し安心した。ここでロマンスなんかが芽吹いちゃったら物語が台無しだと思ったから。

 今回の話ではゲドはあくまで第三者でしかない。1作目でゲドに好意を抱いてしまっていたので、ゲドがいつ出てくるかと待ち焦がれていた私はこの物語の主人公がテナーであるとあきらめるまでは、かなりしんどい思いをして話を読まなければならなかった。テナーの物語の片隅にゲドが出てくるだけで、それはゲドの物語を別の視点から語るに過ぎない。
 テナーが見せる成長で一番好きな場面は、それが使命であったとは言え、人の命を自分の選択か殺めてしまったのを後悔するところだった。特に、醜いけれど育ての親のように慕っていたマナンを誤って崖下に突き落としてしまうところは痛々しかった。なぜなら、マナンも親心からテナーを守ろうとしただけだったのだから。
 腕輪を取り戻し、ゲドに豊かな生活を保障されても、自分の犯した罪の意識をぬぐいきれない謙虚さは実際の人間にはなかなか見ることはできない。ここは書き手の理想論だとは分っていてもだからこそ美しく感じる場面でもあった。テナーは腕輪を奪還したものとして華々しく生きるのではなく、真実を得るためにそれ相応の罪を背負った者としてひっそりと暮らすことを選んだ。そんなことは誰にも言わなければ分らないことだし、話したとしてもきっと彼女の置かれていた状況を考えれば尤もなことだと理解もされたろうに。だからこそここはル=グウィンの理想論なのだと思う。どんな理由があるとしても、事実は事実として自分の犯した罪は償うべきだと言う。

 「こわれた腕輪」では描く世界がファンタジーであるのをいいことに、現実世界では面と向かって議論されることがはばかられる宗教とか信仰心と言った微妙な問題にあっさりと踏み込んでみせる。最高位にあるものが実は腹の底では神など信じてはいないこと。現実的な権威にだけ従順であるというスキャンダルをかなりリアルな醜い姿を晒した格好で盛り込んでいることにショックを受けた。これって子供の読み物ではないの?ただ抜け目ないのは、それも一つの例であると言う説明を付け加えるのを忘れていないことだ。片方の者は権威に移り気でも、もう片方の物は死の床にあってさえテナーに自分たちが信じる宗教について教え語ることをやめない。信仰の火を絶やさないという一心で。だからこそテナーは「そういう人もいる」という理解をするのだ。それが救いだったし、また真実だとも思った。一心不乱に信じる人もいれば、そんな考えを全く寄せ付けない者もいて、身分が低く日々の生活に忙しければ、信じてはいても敬虔さは二の次になることを、テナーは実際の生活から学んでいく。そして自分はどうであろうかということを考える。テナーはずっと考えるキャラクターであったように思う。そしてゲドが来て選択を迫られる。自分の疑問に対する答えを求めるがためにゲドについていくことを選ぶ。結局はテナーは自分の人生を自分で選んだ。ゲドは機会を与えただけだった。テナーの恋心にも似た気持ちに全く気付くそぶりもないのには閉口したけど。ゲドは自然にはあんなに感受性が強いくせに、女心にはあきれてしまうほどのニブチンだった。

 天地のひっくり返ったテナーのこの先の人生を考えると少しかわいそうな気もしたけれど、それでも自由になれたこと自体は非常にすがすがしかった。この世に何のしがらみもなくなってしまった彼女は確かに心細く頼りない存在だけど、でもだからこそ彼女の前にあわられた前途は無限だ。それを思うと不安よりもまぶしい思いがするくらいだった。
 それでもやっぱりゲドの出番の少ない2作目は私にとってはちょっとつまらなかったな。せっかく成長したゲドが見れると思っていたのに。

ゲド戦記 2 こわれた腕環


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