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「ゲド戦記I 影との戦い」 [reading]

 読む価値のある本。そんな作品にこの歳になって初めて出逢ったと思う。それ自体は多分恥ずべきことなのかもしれないけど。
 好きな作家はいくらかいるけど、私の趣味は偏ってるし、自分が面白いと思ったからと言って、それで他の人にもそれを読んで欲しいなんて感想を持ったことはついぞなかったけど、これは読み終わって自然とそういう気持ちが後に残った。これは誰が読んでもいいと思う。どんな年齢の、男でも女でも、きっとその人たちなりの受け止め方が出来る逸品じゃないかと思った。語られる言葉は一つでも、読み手一人一人に広がる物語はきっとその数だけある。こういうのを不朽の名作って言うんだろうな。名作って言うのは、一部の人にしか理解できないような小難しいテーマや、技巧的なプロットや凝った表現にあるのではなくて、きっとこの話みたいに、本当にシンプルな表現で多くのものを物語る作品のことを言うんだろうなと思った。私の中では、「アマデウス」や「コンタクト」に近い。映画だけど。要は、いろんな要素で完全に近いっていうか。別な言い方すると、相対的にバランスが取れていて完全に近いって感じ。
 シリーズ全体はどうであれ、少なくともこの第一作は間違いなく一生に一度は読んでおく価値があると思う。

 私は「情熱と冷静の間」みたいに10年ひとっ飛びみたいな書き方は嫌いなんだけど、これはそういうストリーというか、人生の空洞化みたいなのを全く感じさせない文章力があって、それに脱帽した。物語は簡単に月日を飛び越えて、隣の文章ではいきなり2年後の様子になっていたりする。でもその描かれていない1年や2年の間にもまめまめしいゲドの勉学や生活の日々が透けて見える。手ごたえさえ感じる。だから、次の文章でいきなり1年2年後のゲドが現れてもその成長を嘘っぽく感じない。これはすごいよ。あれだけ切り詰めた文章にそれだけのものを込められるなんて。どんな修錬を積んだらそんな文章を書けるようになるんだろうと思った。
 だから、この作品はその内容から児童文学みたいな位置づけにあるけど、それでいて実はかなりの文学的品格を備えた立派な文学作品だと思う。人に薦められて無理矢理ハリポタを読んだこともあったけど、あれなんかよりよっぽど文学作品としてレベルが高い。まあ、ちょっと説教臭い道徳的なメッセージが見え見えなとこが「児童文学」の看板を下ろせない理由なんだろうけど、それでもハリポタなんかよりはよっぽど「文学」してたと思う。

 今回のもう一つの発見として、愛しい、愛すべきキャラクターと言うのにも初めて出会った。なんにもない田舎の山奥で母親の愛情も知らず「雑草のように育った」ゲドは、粗野で乱暴で傲慢な山猿みたいだったのに、自分の才能に気付き、人に出会い、人の愛情を学び、技を学び、自分の愚を知って、最後は、人としてよくあろうと願い生きる青年になる。その過程は本当に愛しかった。特に長い間影に怯え、自分を拾ってくれた魔法使いの元に憔悴しきって逃げ帰ってきたときに見せた慎み深い礼節と、透明な水のような反省は痛く心を突くものだった。

 教訓と言ってしまうと陳腐な響きになってしまうけど、それでも作者が作品に込めた希望や、道徳的なメッセージをいたるところに見つけることが出来る。それがゲドを成長させていく工程に布石のように置かれている。このあたりの計算はどうやってしたんだろう。最初は田舎の子供だったゲドの粗野な言葉遣いも態度も、慈悲と慈愛の権化みたいなオジオンに見出されて、学院で学び、一人前の魔法使いとして世に出て行く過程で、彼の言葉遣いや物腰が彼の経験と共に成長していく様子がそれと言わなくてもちゃんと現れていてそれにすごく感心した。最初のうちは方言みたいな乱暴な言葉をしゃべっていたのが、人に師事したり、学術的に研究したり、その上で挫折やらなんやらを経験していくうちに、気が付くときちんと自分にふさわしい言葉遣いが出来る人間になってた。敬う人に対してそれにふさわしい言葉で自分の気持ちを伝えられるようになってた。その成長は読んでるこちらを親みたいな気持ちにさせるものがあった。

 ゲドは理想の子供、もしくは人間だ。素直で、感受性が強く、善と悪を失敗から学び、その結果として常に正しい方へ歩もうとするまっすぐな精神。健やかな体に健全な魂が宿っている。だけど、実際には学院に入って以降のゲドの人生にはどちらかと言うと暗い影が付きまとう。それがとてもリアルに感じて私としては好ましかった。夢みたいな幸せな日々からはこんなにしなやかな精神は生まれない。大きな失敗に傷ついて自分自身に絶望しても、またそこから立ち上がれる強さが人に本当の誇りを与える。ゲドはそうして大きくなる。

 物語のキャラクターたちはみんな一人ひとりが何かの象徴だ。ゲドはしなやかな精神。オジオンは慈愛。カラスノエンドウは信頼。ヒスイは虚栄。竜は誇り。そして、ゲドを誘惑する者たちは堕落。
 私の気に入りのキャラクターは友情に厚いカラスノエンドウよりも、時々魔性をうかがわせるせるヒスイだった。ヒスイの出身は高貴だけれど、その心は驕りでいっぱいだ。身分がその精神の品格を保障するものではないことを端的に物語っている。けど、私が惹かれたのはそんな単純なメッセージではなくて、ヒスイと同じ精神の芽がゲドにも宿っていて、ゲド自身それを後ろめたく思っている節が好きだった。ヒスイと同じ気持ちは誰にでもある。ゲド自身、自分の才能に酔っている。要は彼らがそれにどう向き合っているのかが物語だったように思う。物語のクライマックスで影がヒスイの姿を借りてゲドの前に現れた時なんかは読んでて小躍りしたくなるくらいだった。
 ゲドは周りの人々に恵まれているので、どちらかと言うとゲドが痛い目にあっているときの方が好きだった。ゲドを慈しんでくれる人々はそれゆえに無条件でゲドになにもかも投げ出してくれる。でも本当の意味で人が大きくなるには、転んだとこから自分で起き上がらないと。ただ激しく落ち込んでいるとそうもいかない。そういう時は人の優しさが自分の足を前に出してくれる。ゲドにはそういう場面で必ず手を差し伸べてくれる人がいた。大勢いた。そういう意味ではゲドは非常に恵まれていたということだろうね。だからこそ、ゲドが躓いたり落ち込んだりしている場面は小気味よかった。それこそが彼を大きくすると思えば。

 あと、印象的だったのは物語の最初の方で、ゲドの故郷が海賊に襲われそうになって、村を守るためにない知恵絞って自分の持てる呪文だけでなんとかしようとした時のこと。海賊を文字通り煙に巻こうとして呪文を唱えるんだけど、それがコンピュータでコマンド打つのと似てるなと思って一人にんまりした。私はプログラマーじゃないから何か専門的なことを知ってるわけじゃないけど、ネットワーク情報を知りたくてDOS窓から簡単なコマンドを打つことはある。それを個人的に「呪文」と言っているんだけど、あまりにその様子がそっくりだったんで、本当にそうなんだなと思っておかしかった。

 人ひとりの半生を物語るには余りに短いように思うけど、それでいて書かれている以上のことを深く考えさせるこの物語は立派に叙事詩の威厳を持つ。
 ともかく、シリーズの一作目としては間違いなくゲドのその後どうなったか知りたくなるように出来ている話だったし、これ一作だけでも独立した完成度を持った作品だった。そしてその完成度の高さは稀に見るものだった。

ゲド戦記 1 影との戦い


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