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「それから」 [reading]

 すんげーーーーーーーーーー読みづらかったーーーーーー。なんじゃこら。

 シリーズ中最もいけすかん奴やった。こんなに不愉快な気持ちになるなんてこれも本当にハルキ以来で久しぶりだった。ハルキの「僕」には暫く慣れてしまっていたんで、この時代錯誤なとんちんかんを読み下すにはかなりの努力を振り絞んなきゃダメだった。あーーー、疲れた。

 漱石自身も『「三四郎」のそれからという意味での「それから」』と言っているように、三四郎でのプロットを踏襲した話だった。多分、「三四郎」との大きな違いは不倫ていうタブーで社会に挑戦しているところだろう。社会に挑戦って言うのは、雰囲気からそう思ってるだけで、当時の社風に疎い私には単に代助は怠け者のすねかじりでいる理由を小難しく屁理屈をこねているだけに思える。でもその屁理屈が私にはひとっことも理解できない。代助の働かない理由はこうだ。

 「何故働かないって、そりゃ僕が悪いんじゃない。つまり世の中が悪いのだ。もっと大袈裟に云うと、日本対西洋の関係が駄目だから働かないのだ。第一、日本ほど借金を拵えて、貧乏震いをしている国はありゃしない。この借金が君、いつになったら返せると思うか。そりゃ外債くらいはかえせるだろう。けれども、そればかりが借金じゃありゃしない。日本は西洋から借金でもしなければ、到底立ち行かない国だ。それでいて、一等国を以って任じている。そうして、無理にも一等国の仲間入りをしようとする。だから、あらゆる方面に向かって、奥行きを削って、一等国だけの間口を張っちまった。なまじい張れるから、なお悲惨なものだ。牛と競争をする蛙と同じ事で、もう君、腹が裂けるよ。その影響はみんな我々個人の上に反射しているから見給え。こう西洋の圧迫を受けている国民は、頭に余裕がないから、碌な仕事は出来ない。悉く(ことごとく)切り詰めた教育で、そうして目の廻るほどこき使われるから、そろって神経衰弱になっちまう。話をしてみ給え大抵は馬鹿だから。自分の事と、自分の今日の、只今の事より他に、何も考えてやしない。考えられないほど疲労しているんだから仕方がない。精神の困憊と、身体の衰弱とは不幸にして伴っている。のみならず、道徳の敗退も一所に来ている。日本国中何処を見渡したって、輝いている断面は一寸四方も無いじゃないか。悉く暗黒だ。その間に立って僕一人が、何と云ったって、何を遣ったって、仕様がないさ。僕は元来怠け者だ。いや、君と一緒に往来している時分から怠け者だ。あの時は強いて景気をつけていたから、君には有為多望のように見えたんだろう。そりゃ今だって、日本の社会が精神的、徳義的、身体的に、大体の上に於いて健全なら、僕は依然として有為多望なのさ。そうなれば遣ることはいくらでもあるからね。そうして僕の怠惰性に打ち勝つだけの刺激もまたいくらでも出来て来るだろうと思う。然しこれじゃ駄目だ。今の様なら僕は寧ろ自分だけになっている。そうして、君の所謂(いわゆる)有のままの世界を、有のままで受取って、その中(うち)僕に尤も適したものに接触を保って満足する。進んで外の人を、此方(こっち)の考え通りにするなんて、到底出来た話じゃありゃしないもの――」

 …理解できる?甚だ、『はあ?』って感じでしょ?なんかもう外国語、それも第二外国語か、中世英語を読んでるみたいに意味不明だよ。私の意訳では、『オレ様が出て行って労働なんてものをするには、世の中も人間もどうにも下劣すぎる』ということになって、こいつも悪魔の一種だろと思うんだけど違うのかな。当時の世の中を知っている人なら代助の言っていることを理解できるのかな。そういう考えの人は珍しくなかったって。
 三四郎の大人版である代助は、大人であるだけになお始末が悪い。私が最も感銘を受けた代助語録で、最もこの男ってもんを端的に表しているなと思わせる台詞がこれ。

 「もし馬鈴薯(ポテトー)が金剛石(ダイヤモンド)より大切になったら、人間はもう駄目である」

 この人にとってダメでない人間がこの地球上に何人いるかね。
 もうほんと、こんな奴の人生観をつらつら並べられて、一体この話をどう受け止めればいいのと思って苦しんだよ。本当に漱石は何を伝えたかったんだろう。当時の経済発展に乗じて台頭してきてたブルジョワ階級の教育を批判したかったの?お前らが成金の文化が作り出すのはせいぜいがこんな程度の人間だって?そう?そういうこと?わっかんないな。あまりにも不愉快&不可解すぎて、読み終わったあと巻末の批評にまともに目を通す気力がなかったよ。

 不幸なのは美津子だ。本当に愛なんだろうか…。代助への気持ちは…。と思うのは私だけ?なんか結局誰でもいいんじゃないの?ポテトを食べさせてくれる甲斐性のある人なら。けどその甲斐性を見分けられるだけの分別もなさそうだった。愛も分らなければ、男を見る目もないこの棺桶に片足突っ込んだような人が気の毒だった。
 作品の良心は常に主人公以外に存在する。嫂(あによめ)や平岡や実の兄がそうだ。これだけまともな人間に囲まれていながらどうしてこんな人間になっちゃうかと首をひねりたくなる。これらの良心もそれぞれのやり方で代助に働きかけるけど、いかんせん同じ言語を解さないので分かり合えっこない。って言うより、嫂は女だし、平岡はダイヤモンドよりポテトの方が大事だし、また実の兄も「麺麭(パン)が得られればいいという(途中略)、堕落の労力」に就いているから、これらから発せられる言葉は代助にとっては聞くにい値しない。代助にとって労働とはこういうものだから。

 「生活以上の働きでなくっちゃ名誉にならない。あらゆる神聖な労力は、みんな麺麭を離れている」

 「だからさ、衣食に不自由のない人が、云わば、物数奇(ものずき)にやる働きでなくっちゃ、まじめな仕事はできるものじゃない」

 けど、それは何かを極めようって言う志のある人のことでしょう。君、志とかないじゃん。

 代助に三津子への気持ちを告白されて、それでも潔く「遣ろう」と言った平岡が、代助を遠ざけている間に父親にそれを言いつけたりしたのが、最初、らしくないなと思ったりしたんだけど、後から「君の家の事も書かずにいる」と言った言葉を思い出して、『ああ、この人は文屋だもんな』と思い直した。つまり、父親へ送った手紙は単なる腹いせ目的の大人気ない言いつけ状ではなくて、多分脅迫状に近いものだったんじゃないかと思って納得がいった。

 この話の中で一番小気味よかったのは、最後に兄から勘当されることを伝えられた後、もう外は夜だって言うのに血相抱えて、「門野さん、僕は一寸職を探してくる」と言って家を飛び出していく場面。だけど、次の瞬間、代助の気持ちを想像したら、それが痛いほど分って胸の詰まる思いがした。今まで持っていた全てを一瞬で失ったって言う膨大な喪失感と、これから先をどうやって自分一人で生きていけばいいのかと言うそれを上回る不安。代助自身、家を出ると言った後すぐに「焦る、焦る」と口に出して言っている。
 代助の人生が音を立てて崩れていくのが聞こえるようなラストで、それまで代助を不愉快にしか感じていなかった私でさえ、その光景にぞっとするほどだった。


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